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2018/04/22(日)
柔術の道場
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学校というものはどうしてあのように退屈で面白くないのでしょうか。それともわたしがおかしいのでしょうか。妻などは学校は面白かったし、勉強も好きだったと言います。しかし、わたしはちっとも面白くありませんでした。勉強もそれほど好きではありませんでした。(でも、時には”あっ”と引き付けられる時や興味が湧くものがありました)が、そんな時やものや事には没頭できるのです。そんなわたしですが、小学校5年生になっても教室の窓から空を眺める空想授業は続きました。教室の窓はちょうど坂道に沿って出来ていました。そこで斜め左の教壇から右に首を向けると目線に石垣と坂が見えます。その坂を人が通っている時に見えるのはズボンと靴、着物と下駄や草履などでした。誰も通っていない時は右斜め上右は全面”空”でした。不思議なことですがその時は石垣や坂が消えているのです。先生がいくら注意しても空想授業がやめられません。そんな折にふっと別の思いにとらわれたことがありました。(相撲が強かった友人にどうしても勝てないのは何故だろう?どうすれば勝てるようになるのだろう?)そんな思いにとらわれ始めたのです。(チビの俺が勝てるとしたら?そうだ!隣のタコオという村に柔術の道場があると聞いた。よーし、そこへ行ってみよう)ということで、次の日の夜にその柔術の道場に行き入門しました。3学期の初め頃だったと思います。柔道ではなく柔術の道場でした。棒術も教えていたようです。道場には棒術の練習用の棒も置いていました。寒い日も暗い坂道や焼き場のある所を恐々通って通いました。自転車でライトを灯して30分ほどかけて行くのですが、一生懸命でした。ところが、3学期が終わるころに母が突然「妹尾」の家から「岡山」へ転居すると言ったのです。{えっつ!?」と思いましたが、わたしが反対など出来るはずがありません。言われたとおりにする以外に術がありませんでした。要するに親というものは相談するのではなく言葉が優しいか、命令口調かは別にして子どもに命令を伝えるのです。なぜ転居するのかという理由さえ話してはくれません。こうしたことから柔術の道場がよいは2カ月ほどで終了となってしまいました。
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