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2018/04/02(月)
妹尾の家
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妹尾駅を真っすぐ西に向かって突き当りを右に折れすぐ又西に真っすぐに進むと又路地が折れ曲がります。その路地をもう二つほど折れ曲がったところにわたしたちの家がありました。その妹尾の家は狭い昔の路地から西に向くと左が畑でした。真っすぐ西に進むと石の階段があります。右手は隣の屋敷の土塀でした。イグサ製品やわら製品を下請けに作らせて各地に卸をする仕事をしていたようですが、畑の前にも工場がありました。いわゆる戦後の成金の一人だったに違いありません。女中さんが3人もいました。ある時のことでしたが、真夜中に警察が踏み込み大騒ぎになったことがありました。「博打」がおこなわれていたとのことです。左の畑の先は2軒長屋がありました。1年大きい先輩が住んでいましたが、この先輩のお母さんによく灸(やいと)を据えられました。石段を上がると2mほどの通路が左に伸びており、突き当りの山際には柿の木がありました。その手前には鳥小屋と犬小屋がありました。鳥や犬の世話はわたしの担当でした。ここは縁側でもありました。家の玄関を入ると昔ながらの農家の造りになっていました。右手と左手に8畳の部屋が一つづつ、真っすぐに行くと左手に食事をする小さな部屋、さらに進むと右手に流しや調理台など、左手に大きなかまどが二つとお風呂の焚口がありました。そこには裏口があり、裏口を右手に行くと階段があり、右手に階段を降りると大きな井戸があります。つまりわたしはこの階段を上り下りして風呂の水くみをしなければなりませんでした。この階段を上ると広場があり、神様やたくさんの木が植えられていました。左の8畳を抜けると納戸があり、母の父、わたしのおじいさんの居所がありました。その前を通り抜けると、小庭があり、左手が便所になっていました。手水鉢のある所を抜けるとお風呂でした。五右衛門風呂という鉄のお釜です。風呂の水くみ、風呂沸かし、飯炊きはわたしの役割でした。この家でわたしは小学校5年生まで暮らしたのでした。
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