たばたけんじの日記 (田畑 賢司)
元 岡山市議会議員 田畑けんじ の日々思うこと…
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2018/04/17(火) 麦飯はねて白米多く弁当に
小学校1年生になったわたしたちの昼食は3年生まで弁当持参でしたが、確か?4年生、5年生の2年間は給食になりました。転校後の岡山市岡南小学校、岡輝中学校は弁当持参でした。とすると、岡山市より妹尾町の方が給食開始は早かったことになります。従って、わたしの給食の記憶は2年間だけだったということになります。まずは、わたしが「わらくずパン」と呼んでいたとっても不味いパンです。コッペパンに似てはいるが似て非なるものでした。本当に不味かったのです。次の日には固くてぼろぼろになります。こっちもボロボロです。とても食べれません。先生が睨んでいるので少しだけかじって後はこっそりズックかばんに投げ入れます。そうしないとダメなのです。学校にはそのまま置いておけませんからね。友人たちがどうしていたかは全く覚えていません。おそらく自分のことで精一杯で他のことに気を遣う余裕さえなかったのだと思います。このパンを母が毎日ズックから取り出して油で揚げて次の日のおやつにするのでした。少しはましでしたが、これは二重苦でした。教室の窓の外の空には本当のコッペパンが飛んでいるのを眺めながら早く学校が終わらないものかと思う毎日でもありました。もう一つは、飲むと舌や口の周りにべったりとくっつく脱脂粉乳でした。これがミルク?という代物です。家畜の餌じゃありませんか。温かくても冷たくても飲めたものではありません。これも臭くて不味くて本当に嫌でした。ぐいと流し込む以外には方法がありませんでした。脱脂粉乳の代わりに牛乳が出され、この脱脂粉乳が日本の学校給食から完全に消えたのは1967〜70年ではなかったかと思います。さて、ここから母の苦労談です。弁当を拵える母の姿を横から見ていると、毎朝、お櫃をしゃもじでひっくり返し、ひっくり返ししています。白米3合、麦7合の中から出来るだけ白米を多く取り出して弁当箱に詰めようとしてくれているのですが、なかなか上手くは出来ません。それでも努力の後は確かにありました。わたしはスルメデンプが好きでした。隣の奴の赤いカツオデンプが欲しいなあと思ったこともあります。たまに玉子焼きが入っていると小躍りしたものです。もう一つの母の苦労談は「肝油」でした。これは注文しなければなりません。学校に支払う代金が必要です。母は肝油を給食時に注文するために(わたしが学校で友達に引け目を感じないように)縄ない仕事を夜中までするようになりました。夜、母がいない寂しさは肝油注文の代償でもありました。


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