たばたけんじの日記 (田畑 賢司)
元 岡山市議会議員 田畑けんじ の日々思うこと…
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2018/04/12(木) あああの頃が朝鮮戦争だったのだ
青空をゴンゴンと唸りを上げて飛んで行く双胴のロッキードを見上げて「カッコええの〜」と友達と話し合っていたわたしたちは腰には磁石を引きずって歩くための紐をぶら下げていました。金物を拾って歩いていたのでした。金物を集めてそれを持って行くと大人が金をくれました。思えばこれがわたしたちの朝鮮戦争だったのです。朝鮮に物資を運ぶ双胴のロッキードと不足して値が高騰した鉄類を集める仕事でのわずかな小遣い稼ぎ。それでも釣り糸や釣り針を買うことは出来ました。釣り竿は竹藪へ行き、適当な大きさの奴で真っすぐくてしなりのいい竹を伐って使いました。買わなければならないのは釣り糸、釣り針、浮きを留めるゴムでしたが、ゴムが無い時には釣り糸に直接浮きをくくりつけていました。もちろん浮きは木を小刀で削って造っていました。鮒などは面白いように釣れました。餌は常時間に合うように流しの外の排水溝のところで糸ミミズや赤ミミズを飼っていました。これはハヤやモロコや小鮒などの小さい奴ようでした。大きい鮒や鯉など用には大きいミミズが必要ですが、これは畑で飼っていました。もちろんウナギ用でもありました。朝鮮戦争はこうしたわたしたちの生活するための用具購入という形でのささやかな支援ともなっていました。移動は大人の自転車を借りて使いました。思えば「学区外に行ってはダメなどという規制」などはまったくありませんでした。大人の自転車(大人はハチと言っていました)には直接乗れませんでしたからもちろん横乗りというスタイルでした。これでなんと妹尾から今の当新田や現在の児島湖やあべ池まで行っていました。アミを餌にするのですが、ママカリなどは1〜2時間でバケツ一杯ほど釣れました。こんな自然を失った今の子供たちは不幸せだとわたしは思うのですが、今の子供たちはテレビもゲームもパソコンも無かったわたしたちの方が不幸せだと思うかも知れません。ウナギに鮒に鯉、シジミにアサリにマクラ貝にカキ、ママカリにサヨリにハゼ、ギンナンに柿やイチジクなどなんでもありました。経済発展で失われたものの大きさは測り知れないと思います。誰が何と言おうとわたしはそう思うのです。


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