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2018/03/29(木)
朝定食はおにぎりだった
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岡山大空襲は6月29日、午前2時43分から午前4時7分にかけて1時間24分間もおこなわれたという。B-29西方飛来の情報をキャッチしたのは数分前であったといい、空襲警報が出されないまま、焼夷弾無差別爆撃等がおこなわれた。この空襲警報が出されなかったため、被害が大きくなったと言われている。米軍の爆撃機とボーイングB-29合わせて140機が飛来し、岡山市街地を攻撃した。当時の岡山市の人口はおよそ16万人に過ぎず、全国的に見ても小都市であった。が、しかし、何故岡山市が狙われたのか。米軍は、鉄道網が放射状に整備され、物資輸送の拠点となっている岡山市を空襲対象全国180の都市のうち31番目に挙げていたという。では、何故、飛行場などではなく岡山市街地を攻撃対象にしたのか。それは軍事拠点などよりもその下請けとなっている中小工場及びそこで作業に従事する者の多い岡山市を壊滅させることが主目的であったとされる。岡山市街地攻撃の主要3地域は(1)岡山駅及び操車場、(2)たばこ工場と製粉工場、(3)岡山城と中学校校舎とされ、そのため攻撃の座標軸が現在のNTTクレドビル付近に設定されという。空襲には照明弾と焼夷弾が使用された。夜空は昼間のように明るかったという。わたしは「花火を喜ぶ子供のように背中ではしゃいでいた」という。わたしには一切の記憶はないが「ホントにまあこの子は親が死ぬ目に遭って逃げているのにきゃあきゃあ騒いで親不孝な子じゃったなあ」と母はよくこぼしていた。特に家の手伝いもせずに遊んで帰った夜などは。こうして父と母はわたしを背負って線路を逃げた。(大元駅へ、もうすぐ大元駅だ)と岡山市が炎上する様を見ては走り、走っては疲れて歩き、疲れては休みながら、やっと駅に着いた。線路にしばらくそのままうずくまっていると夜がしらじらと明けてきたそうだ。そしてそれから「ええッ!」と驚く事態が判明した。(さあ、奥田に帰ろう)−親戚の家を頼って?−と駅舎に入り、駅名を見ると、なんと「三門駅」と書いてある。力が抜けてその場へヘタヘタと崩れ落ちたそうだ。大元駅方面と信じて逃げた線路は宇野線ではなく総社方面へ向かう吉備線だったのだ。そこですぐにはどうにもならないと観念した二人は中華鍋の中のおにぎりを食べたという。夜明けの三門駅の朝定食は神戸で拵えて持ってきたおにぎりであった。「とても美味しかった」と。残った財産は中華鍋一つと三つの命だけであった。
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