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2018/03/28(水)
岡山の街が火の海に
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岡山駅前の旅館の一部屋に川の字に寝た父と母とわたし。当然のこととだがわたしを真ん中にして左右に父と母という構図である。母の枕元には握り飯を入れた中華鍋とわたしを背負う用具や小物入れの手提げ。父の枕元には食料品などを詰め込んだリュックサックなど。なにしろ背中に背負えるだけの荷物及び両手に持てるだけの荷物を持って神戸を出たのであるからこれだけが父母の全財産であった。後は神戸ですべて処分せざるを得なかった。ウトウトッとしたところ、例の笹箒で障子を掃く音がしたという。ザーーー、ザザザザーーーというあの焼夷弾が降ってくる音だ。「お父さん、空襲」「おおッ?嘘言え、ここは岡山だぞ」「だって!ほらあの音」「おお!出るぞ!」「はいッ!」「けんじはわしが背負う。おまえはすぐ出ろ!」「はいッ!」誰もまだ起きていない。他の宿泊客にも空襲を知らせるように大きな音を立てて玄関を開けて外に出たという。父がわたしを背負って外に出た時、母はまた部屋に戻ったという。「バカッ!何しとるか!出ろ!」と父が怒鳴る。母は部屋に戻って中華鍋を引っ掴んでまた外に出た。岡山の街はもう燃えていた。「アホー!行くぞ!」と駅前通りを南へ駆け出す父。「ダメ!!お父さん、ダメ!」と大声で父を呼び戻す母。母の話しによれば、神戸では燃え盛る火の中を逃げた人たちの背中の子供は道路が広くても死んでいたという。「線路よ!線路!駅へ!駅へ行って線路を逃げましょ」「おおッ!」ということで燃え盛る火の海が追ってくるのを避けて岡山駅へ出て、あの線路のレールとレールの間の枕木と砂利の道を歩いたという。なんとも歩きにくい道であったろうが必死で歩いたという。岡山の街が燃えてゆくその龍炎を見ては走り、見ては歩いたという。6月29日。神戸を引き上げた日の翌日の未明は岡山大空襲の日であった。
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