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2018/12/30(日)
わが闘争
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ヒトラーは最初は画家を目指し、次は建築家をめざしていたが望みかなわず挫折している。学業成績は良くなかったと聞くが、彼は学問に対して集中力を発揮できなかったのだと思う。こうした彼の青春時代に第一次世界大戦が起きた。彼は義勇軍に参加した。正規兵に採用採用されることが困難であったかと推察されるが、幾つかの手柄をたてるも伍長で終戦を迎えている。この伍長という位は彼が政治家として台頭してゆく中での屈辱感も増殖させていくことになる。将来の政敵が元将軍や幹部たちと行動をともにしたり、張り合うことにもなるからである。彼は軍の中でスパイを職とするようになり、政治家となってからも軍に籍を置いていた。彼はスパイとして調査を担当したドイツ労働者党の調査の中で党首のアントン・ドレクスラーの反ユダヤ主義・反資本主義の演説に感銘を受け、取り込まれたこともある。こうして政治家として歩き始めたヒトラーは突撃隊などの活動でミュンヘンでは名を知られた存在となってゆく。そして、上流階級の婦人たちが彼を支援するようになり、彼は紳士としての立ち居振る舞いを躾けられたのであった。この頃イタリアでおこなわれたファシストのローマ進軍を真似てミュンヘンからベルリンへ進軍しようとの意見が右派内で大きくなり、1921年11月9日ミュンヘン一揆がおこなわれた。もちろんナチスを含む右派政党である。この一揆で彼はランツベルク要塞刑務所に収容されたのである。この刑務所内で執筆されたのがヒトラーの「わが闘争」だとされている。
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