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2018/10/24(水)
実力テストの成績がまず真ん中に
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ところがである。ある時、ヒョイと成績が上がった。岡輝中学の中間テストとか学期末テストとかではなく、全県でおこなわれた模擬テストだったか、全国でおこなわれた実力テストだったかは忘れたが、要するに最下位近辺から脱出し、わたしの成績が真ん中辺りまで上がったのだ。これは大驚きであり、大喜び事であった。今振り返ってみると、教科書どおりに基礎からキチンと身に着けることが如何に大切かということである。ちょうど3年生の初め頃は2年生の教科書にとりかかっていた頃だった。成績が悪くやんちゃだった子供が弁護士になったとか、の話を聞くと、「ああ、そいつは元々頭が良かったのだ」と頭の良し悪しで分類してしまう人が多いが、わたしはそもそもの持って生まれた能力差はさほどには差がないと思う。その人、その人の持って生まれた適正能力と努力による差及び好き嫌いの差はあるものの人類が受け継いできた知差はさほどに差はないとわたしは思う。そして、職業人となるに当たっては「人は道によって賢しこし」であると思う。専門性を如何に磨くかでまたその人の賢さも変わってくるはずだ。相対性理論を紡ぎだした天才アインシュタインだって大工仕事に精通していたとは限らない。しかし、その人その人が努力する違いの差は生まれ、その積み重ねの差は天地の開きとなることも当然あるはずである。ただ、幼少の頃から絵画も、絵本も、音楽も本物の良さに降れる機会があればあるほど、その道の達人に指導を受け、実践する機会があればあるほど知恵の総合的発達は保障されるとわたしは思う。さて、余談はさておき、こうしてわたしは実力テストや模擬テストを受けるたびに成績は上がっていったのであった。しかし、岡輝中学のテストの方は相変わらず追いついていかなかった。だが、2学期の課外授業の編成替えではロ組に入った。残念ながらイ組にはとうとう入れずじまいであった。従って、担任の先生からはその間「本当にお前は県立普通科を受験するのか?」と聞かれたことは当然のことであった。その度にわたしは「ハイ」と答えた。
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