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2017/08/27(日)
魚の小骨(29)敗北は目前だった
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33軍は南からインパールへと向かいます。その途上のシンゲルで英軍と戦闘になりましたが、兵士に戦う余力は残されておらず大敗北を喫しました。死者は千人以上であったと言われています。33軍の連隊長が作戦変更を牟田口中将に「忍び難きを忍び、恥を忍んで申し上げます。作戦の変更をお願いしたい」と上申したところ、「バカヤロー」とその上申は取り上げられませんでした。斎藤少尉の日記には牟田口中将が他の高官と話し合っている会話について「幾ら殺せば取れるか?」「五千も殺せば可能かと」と記されています。斎藤少尉は「最初は敵軍の兵士を幾ら殺せばと思っていたところそれは間違っていた。味方を何人殺せばそこが取れるかということであり、愕然とした」と記しています。これが彼が報道番組で流した涙の原因でした。「軍上層部は兵士を人間として見ていなかった。それを知ったことが悲しい」という現実でした。3か月以上の月日を費やしてやっとインパールの近くまで到達したものの兵士は戦う武器弾薬、食料、体力を消耗しつくしていました。31軍のコヒマの戦いも同様でした。戦闘は肉薄(肉弾)攻撃命令のみ。もうそれ以上の戦闘は不可能であったと見るのが妥当でしょう。肉薄攻撃とは爆弾を持って敵陣へ突撃するというものでしたが、敵の機関銃や戦車隊に歯が立ちません。死者は3千人を超えたと言います。ところが日本本土での報道は「皇軍!コヒマの敵陣猛襲」というものだったと言います。牟田口中将は部下たちに「記者には嘘でも景気よく見せろと言った」と言います。もちろん日本軍に不利な情報を流せる新聞、ラジオ報道はありません。なお、東條英機首相にインパール作戦の状況が良くないと伝えられた際にも東條首相は話の途中で報告をさえぎり話をさせなかったといいます。彼は聞きたくなかったのでしょう。ここにも冷徹に戦況を分析して対処する姿勢がありませんでした。英軍の作戦計画は「長期戦を予定し、英軍の兵たんは空輸で補給する。新兵器を装備する。梅雨になれば日本軍は食料補給がゼロになる。日本軍の食料がほとんど尽きたころを狙って戦闘を開始する」というものだった。
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