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2017/08/25(金)
魚の小骨(27)無謀な戦争の責任は誰が?
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今朝の空は今にも泣きだしそうな曇天です。戦前の天皇制の下での旧日本軍の実態を見ているようで悲しくなります。大東亜戦争(太平洋戦争)と日本が名付けたこの戦争の初期侵攻作戦の目標は(1)開戦直後にハワイ真珠湾を攻撃し米北太平洋艦隊を壊滅させる。(2)同時に英領マレー、米領フィリピン、蘭領東インド(現インドネシア)を攻略し、南方の資源地域を確保する。(3)そして、米英の根拠地マニラ、シンガポール、香港を攻略する。(4)さらに中部太平洋及びビルマ(現ミャンマー)の要城を占領し、長期持久の防衛体制を確立する、というものであった。兵たん(食料、武器、弾薬の補給輸送)は主に海軍が担ったがとてもこの広大な戦線を維持できるものではない。この広大な地域における戦争を始め、継続した無謀さはどこから生まれたのか。わたしはひやりとするほどの勝ち戦を納めた日清戦争、特に日露戦争の勝利から生まれた過信と神がかり(万世一系の天皇が支配する瑞穂の国大和)ではなかったかと思う。蒙古来襲時の台風は神風が吹いたのだ。そして、国の危難は神風が助けてくれるという根拠の無い考えは神風特攻隊へと進化してゆく。ここには馬より安くつく下士官や兵隊は人間として扱われない思想が深く根付いている。戦争という兵士・国民の生死に係る一事をも冷徹に科学しようとせず軍上層部は自己の保身と栄達とで判断してきた結果、ミッドウエー海戦の敗北を契機に攻守逆転となり硫黄島や沖縄玉砕、本土空襲、広島・長崎への原爆投下を経て、無条件降伏となった。しかし、この精神主義は戦後72年経った現在でも続けられている。その一つが、「終戦」という用語の使用である。無条件降伏であるならば間違いなく「敗戦」であるにもかかわらず子供たちにさえ歴史の真実を教えようとしない日本の現実が横たわっている。世界一無謀と言われたインパール作戦の発案者であり、反対者を排除しての遂行者であった牟田口中将(戦後、彼はわたしの発案ではなく大本営の命令に従ったと言い、大本営は15軍の戦線拡大の範囲と言った。どちらにも責任があったにも関わらず責任をお互いになすりあう醜悪さを露呈)付きの斎藤博圀少尉の日記が見つかった。そこには?
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