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2017/04/17(月)
春眠暁を覚えず
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「春眠不覚暁 処々聞諦鳥 夜来声風雨 落花多少知」と60年安保を知る大学時代の先輩がよく歌っていた。いや、歌っていたというよりは唸っていたという方が正しいが、折に触れよくこの歌を想い出す。最近は5時を過ぎると辺りが明るくなり始める。ホーホケキョと鶯が、ツイーツイクツクツクと燕が「さあ朝だ。起きろよ起きろ」と鳥たちが啼き始める。そこでわたしはエイヤっと起きる。そもそも人類は眠るのが苦手な動物のようだ。睡眠の専門家は「荒野で暮らしていた時代に夜には動物に襲われ、ちょっとした物音にも目を覚まして生き残った祖先がわれわれの体内に生きている」という。そのため、現代人の2〜4割の人が睡眠に苦しんでいるというのだが、そうするとわたしは祖先の時代であれば落ちこぼれ組ということになる。よくも悪くもぐっすりと眠れる。睡眠中に襲われたらひとたまりもないだろう。だが、現代でよかった。猪も庭までは来るものの家の中まではやってこない。だが、動物たちが生きるのに懸命だとの思いは伝わってくる。特に、燕には感心させられる。差早くから夜遅くまで虫を捕らえてはあの速さで巣に戻り、また出かけるのだから。休むということがなさそうだ。白鷺をはじめ鷺たちはじっと川で脛を水で洗いながら立っている。まるで哲学者のように身じろぎもせず立っている。これはこれで大変なことだ。わたしには出来そうにもない。川の中ではカワニナが蛍の幼虫に狙われている。生きるということの凄さを知れば知るほど「春眠不覚暁」の歌も深みを増してくるように思える。自然から遠ざかってゆく子供たちよ。出来うる限り自然との接点を増やせよと願うとともに吉備の大地を愛せよと願う。
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