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2017/10/07(土)
魚の小骨(60)核兵器認めていいの?
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今日は曇り後晴れとの天気予報でしたが午前は小雨がパラつく空模様でした。解散総選挙のお天気模様も小雨後曇りかも知れません。マスコミはあげて小池新党に前原民進が飲み込まれた「希望」対「自公+維新、心」の対決構図を報道しています。「枝野氏が立ち上げた立憲民主党+共産+社民」は紹介はするものの対決構図からは微妙に外されています。政党支持なし層の判断に影響を与えることは間違いなさそうです。本当の対決構図は「憲法9条を改悪して自衛隊を明文化して米軍の補完部隊とするのか」、それとも「憲法9条を変えないで自主日本を創るのか」であるはずです。米軍の核の傘の下で核兵器を容認する日本か」それとも「世界で唯一の被爆国日本として核兵器禁止を貫くのか」が問われているのだと思います。国連の核兵器禁止条約に奮闘した「I CANが」ノーベル賞を受賞したのは核兵器禁止が世界の常識になっているという証です。これが今回の総選挙の対決構図であるならば{9条改定と核兵器容認グループ」か、それとも「9条保守、核兵器禁止」グループ」かの選択となるはずです。であれば、「自民、公明、希望、維新、こころ」グループVS「立民、共産、社民」グループ対決の構図で報道されなければならなはずです。ここに日本のマスコミの世論誘導の本質が表れています。このように公平を装いながら実質は一方(自公政権)に加担するマスコミの姿勢が「道徳」の教科格上げにも力を発揮したのだと思われます。このようなマスコミの姿勢は、文科省が作成した「心のノート・第4−差別や偏見のない社会を実現すること。世界の平和と人類の幸福に貢献すること」から判断すれば、マスコミは国の指針とは違うことになります。また、この「心のノートの実践を求めている自公政権」とも違うこととなります。となれば、自公政権が求めている「差別とは?偏見とは?世界の平和とは?人類の幸福追求とは?」との疑問が湧いてきます。よくよく考えてみると、その答えは「差別とはあるものは仕方がない。偏見とはトランプや白人の偏見はまあ仕方がない。世界の平和とは米軍の核の傘の下にもたらされる。人類の幸福追求とは核兵器が存在する以上あっても仕方がない。日本はアメリカに護ってもらうのだから核兵器も、米軍の必要な金を払うのも仕方がない。それが人類の幸福なのだ」ということになります。これは世界平和と人類の幸福のためには米軍がおこなう戦争は是認されるということになり、そのためには「日本にも軍隊が必要だ」ということになります。そうであるならば、心のノートが要求する平和、人類の幸福はアメリカの軍隊で守られるので日本国民は軍隊を容認しなさい。アメリカがおこなう戦争は認めなさい。そして必要とあれば日本人も兵隊となって戦いなさい、ということになります。本当にこの選択を許してよいのでしょうか!?
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