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2016/03/07(月)
多喜二忌
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多喜二忌や散歩にステッキ置いてゆく 健志朗 小林多喜二は1903(明36)年12月に秋田県で小作農家の二男として生まれた。4歳の時、伯父の計らいで家族が小樽へ移住。小樽商、小樽高商(現小樽商大)卒業後、北海道拓殖銀行小樽支店に入社する。このころ5歳下の恋人・田口タキと出会う。世の中は関東大震災あり、女工哀史あり、山東出兵あり、金融恐慌ありという激動の時代の中、1927(昭2)年芥川龍之介が自殺した。翌年普通選挙法が実施された。と同時に、この年、第2次山東出兵、第3次山東出兵が行われた。多喜二は拓殖銀行を辞め、共産党の候補者の応援をしていた。そして、3・15事件(共産党員大検挙)が起こされた。彼はこの経験を題材に「1928年3月15日」を執筆し、「戦旗」に発表した。これが余りにもリアルであったため特高警察は憤激した。1933(昭8)年2月20日は多喜二が寒中丸裸にされ、拷問死させられた日だ。太いステッキで叩かれたとの証言がある。2月20日はこうして多喜二祭又は多喜二忌として権力の横暴を許さない、忘れてはならない日とされている。
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