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2016/12/08(木)
初時雨と子規
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医者が来て発句よむなり初しぐれ 子規 晴れたり、降ったりと不連続に定めなく降る冬の雨を時雨(しぐれ)という。語源は二つあるようだ。一つは「過ぐる」。もう一つは「し(風)、くる(狂)う」で風によって突然降ったり、また止んだりすることをいうとある。わたしは後者を選ぶ。理由は風は凪にも通じるので「風狂」でよいのだと思っている。時雨は降り方によって片時雨、村(叢)時雨などと呼ばれる。また、夜降る時雨を小夜時雨という。その冬初めての時雨が初時雨である。子規は愛媛は松山の生まれである。夏目漱石とは東大予備門で同窓であった。「天気晴朗なれど波高し」と日露海戦の打電をさせた秋山真之とは幼馴染であり、愛媛一中、共立学校で同窓であった。子規は結核を患い、後、結核菌が脊髄を犯し、脊髄カリエスを発症したとされる。彼は壮絶な闘病生活の中で俳句の会や短歌の会を組織し、その革新を志し、俳句の中興の祖としての偉業を成し遂げた。 柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺 は彼の代表作の一つであるが、この句は 漱石が彼に寄こした 鐘つけば銀杏散るなり建長寺 を踏まえた返句だともいわれている。 表題の句は彼が闘病中であっても俳句をこよなく愛していたことをよく示している一句と言えよう。
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