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2016/12/21(水)
足立たば(1)
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正岡子規の歌に「足立たば・・・」で始まる和歌が8首あります。わたしはかねてよりわたしの足が立つうちに出掛けてみたいと思う所でもあります。わたしの願望を成し遂げるための準備としてそれらの歌をご紹介しておきたいと思うのです。 まず第一は、 足立たば大和山城うちめぐり須磨の浦わに昼寝せましを です。歌の意味は明瞭で、わたしが元気で足が立つならば奈良、大阪、京都の古寺や名所を巡ってその旅の最後に須磨の浜辺で昼寝をしたいものだ、というくらいの意味です。歩くことが思うにまかせない彼にとっては切実な願いでした。 子規は慶應3年9月17日(1867年10月14日)生まれで名を常規(つねのり)といいました。後に升(のぼる)と改めています。諸説ありますが「野球を自分の名前のノボルからノボール、つまり野球としたという逸話」は有名です。彼が死を迎えるまでの7年間は結核を患い、同時に結核菌が脊髄を犯し、脊髄カリエスを発症していたのです。明治29(1896)年のことです。29歳だったでしょうか。彼は俳句中興の祖とも言われますが、和歌に於いても彼が革新をめざして始めた根岸短歌会が後のアララギへと発展したことでも知られるように和歌の革新、発展にも貢献しています。 富士のねに咲ける薊を吉備にある親に見せんと君思はずや 南(みんなみ)の伊予のいでゆは遠つ神六代(むよ)の帝のいでましどころ 吉備と彼が生まれた伊予に関する歌を2首ご紹介しましたが、彼が病床のうちに苦闘した一幕を「足立たば」を通して考えてみたいと思います。
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