|
2016/12/12(月)
吉備津の女郎墓
|
|
|
女郎墓や吉備津宮向く枯尾花 けんじ 吉備津神社の北側の山の中腹に苔むした一群の女郎墓がある。吉備津神社の門前町に女郎街があったのだと岡山市議会の矢木先輩から聞いた。彼は歴史が好きでまた造詣も深かった。確かめても見たが間違いないようであった。彼女たちの苦労がいかばかりであったか。計り知れないほどの苦しみであったに違いない。性の病気や肺結核やさまざまな病気が彼女たちを苦しめたに違いない。そんな彼女たちが亡くなると吉備津宮の北側の山の中腹に葬られたのである。彼女たちの恨めしい思いが吉備津宮の方に墓を向かせているのかも知れないと思う。昭和31年5月24日、売春防止法が制定され、翌年の4月1日から施行された。この法律によって売春は処罰されることとなり、売春を目的とした業務は廃止された。売春がいつの時代からあったかは定かではないが、江戸時代のはるか以前から行われていたと考えられる。そして昭和32年といえばわたしが中学校2年生のころまであったわけで岡山市中島の女郎の話は大人からよく聞かされたものである。得意げに鼻を膨らませて語る大人たちの顔は粗野で下品であった。女郎たちも成りたくて成ったわけではないだろうにと思いながら聞いていた。真金の十字路を東に向かいながらふと思い出したので吉備津宮の参道に車を乗り入れ、北斜面の墓のある方角を見やった。すると一陣の風が通りすぎた。慌てて襟をすくめた。
|
|
|