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2016/11/17(木)
日露の領土問題について(17)
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しかし、サ条約にはスターリンとの約束を履行するためトルーマンはヤルタ協定に基づく「千島列島の放棄」を条項に入れた。これは明らかにカイロ宣言に背くものであった。だが、日本政府は日本はこの協定に拘束されないと主張するものの不当であったと批判したことが一度もない。その理由は千島放棄条項がアメリカの要求で入れたからではないか。それ以外に日本が批判しない理由が見つからない。いずれにしてもこのサ条約で日本は形の上では独立国となった。サ条約に調印しなかったソ連とは4年後の1956(S31)年に日ソ共同宣言の締結をおこない、国交を回復した。この時、日ソ間で歯舞群島及び色丹島を譲渡するという話が進んだ。しかし、日本側は国後島、択捉島を含む4島返還を主張したため、交渉は頓挫し、領土問題の進展を見ないまま今日に至っている。この時の4島返還にはアメリカの4島を主張せよと要請があったと聞いている。日ソ共同宣言条約第21号は次のとおりである。
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