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2016/11/14(月)
日露の領土問題について(14)
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1951(S26)年9月8日、サンフランシスコで第2次世界大戦終結のための講和(平和)条約が締結された。この条約の2条C項で日本は「千島列島・・・に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」との宣言に署名し、千島列島を放棄した。しかし、この2条C項はカイロ宣言に違背するヤルタ協定に基づくものである。アメリカのトルーマンは米軍兵士の死亡者を極力少なくするためにソ連の対日戦への参戦を要求し、ソ連のスターリンは対ドイツ戦で疲弊した国内の厭戦気分の高揚を抑えながら戦後の影響力低下を避けるためにこれに応じたという両大国の利害と思惑が一致した妥協の産物がヤルタ協定である。日本政府は敗戦後70年を過ぎた現時点においての判断として「連合国の第2次世界大戦処理方針カイロ宣言に立ち返っての処理」を求めるべきではないだろうか。1875(明8)年に旧ロシアと日本との間で平和裏に締結された樺太と千島列島を交換した条約が領土問題解決の前提とされて当然ではないだろうか。日本政府は「国後、択捉は千島列島ではない。歯舞、色丹は北海道の一部。だから4島返還を」と主張してきたがこの主張の誤りを是正する必要があるのではないだろうか。
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