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2016/11/10(木)
日露の領土問題について(10)
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1945(S20)年2月にソ連のヤルタで米英ソの首脳会談がおこなわれた。ここで戦勝国としての権益の分割が協議された。ソ連には対日参戦の見返りとして日本の敗戦後、南樺太のソ連への返還及び千島列島をソ連に引き渡すことが決められたのであった。4月5日ソ連は日ソ中立条約を破棄すると通告し、8月8日対日宣戦を布告し対日戦に突入した。こうした状況下で8月14日日本は御前会議において米英中ソの共同宣言(ポツダム宣言)を受諾し、9月2日無条件降伏文書に調印した。同時に一般命令第一号(陸・海軍)により、満州、北緯38度線以北の朝鮮、南樺太、千島諸島の先任指揮官並びに一切の陸・海・空とその補助部隊はソビエト極東軍司令官に降伏すべきとされた。トルーマンの「一般命令第一号」の原案には千島列島の日本軍がソ連に降伏するとされていなかったのでスターリンはヤルタ協定の実行を要求し、トルーマンはこれを受け入れた。併せて、スターリンが要求した北海道東北部の占領はヤルタ協定には無いと拒否した。この時、トルーマンがスターリンの要求を拒否していなければ、現在まで北海道東北部はソ連領(現ロシア領)であったのではないかと思われる。
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