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2015/09/04(金)
アジアでの付き合い方
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70前に日本が敗戦となった第2次世界大戦はファシズムの敗北であった。日本が掲げた目標は「大東亜共栄圏」。しかし、共栄を図るというお題目はやはりお題目であり、共栄圏建設を掲げてアジアを侵略し、中国、朝鮮半島国家をはじめ、アジア各国に甚大な被害を与えた。あれから70年、中国、韓国との歴史認識、領土問題を巡り、摩擦が強まっている。この70年間に日本の大企業は世界企業へと巨大化した。今や国内での生産拠点は少なく、世界各国へ進出している。中でも、アジアでは、中国国内の労働賃金が高くなったので中国を離れ、タイ、ヴェトナム、ミャンマー(旧ビルマ)などへと移行している。昨年9月26日浜松市で「ビルマゆかりの碑」を前に式典が開かれ、ミャンマー国軍総司令官ミン・アウン・フライン氏は「ミャンマー国軍はここから始まった」と述べたという。英国植民地であった当時のビルマは1948年に独立したが、その手助けをしたのが当時の日本陸軍大佐の鈴木敬司。独立運動を起こすために集まったビルマ人30人のトップがアウン・サン・スーチーさんの父であるビルマ建国の父アウン・サン氏だった。彼らはこの地に潜伏し、その後、中国・海南島で軍事訓練を受けたという。謀略機関である南機関を指揮した鈴木は英国に変わって日本が盟主になるための援助であったが、日本の敗戦でその目的は実現しなかった。歴史の皮肉というべきであろう。日本は「ミャンマーの独立を助けた」などとは言わないでほしいものだ。ミャンマーなどアジア諸国への経済援助は過去の歴史を踏まえた上での真摯な態度で臨むべきであろう。
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