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2015/07/17(金)
ぶっ潰すぞ!
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「ぶっ潰すぞ」と鈴木少佐が昭和16(1941)年2月、当時の情報局と中央公論社社長との懇談会の席で言い放ったという。鈴木少佐が陸軍省情報部員になったのは昭和13(1938)年のことだが2年後の昭和15年に情報局となる。新聞、出版、放送の指導、対外宣伝、検閲などの情報局の仕事の中で彼は出版部門を担当したという。戦後4年目の昭和24(1949)年、その場に居合わせた中央公論元編集者であった畑中繁雄氏が「仁王立ちした少佐の形相がものすごかった」と「言論弾圧史」で回想しておられる。昭和6年9月18日関東軍が暴走し、中国柳条湖で南満州鉄道の線路を爆破して引き起こされた満州事変。ここから世論をリードしてきた新聞もあらゆるメディアが敗戦まで軍部や政府にすり寄ってきた。朝日新聞記者であったM氏は「弾圧というより勝手に駄目になった。自分の記事で迷惑をかけたくないという気持ちがあった」と回想されている。今回の自民党・安倍子飼いの青年局長などの発言は特定秘密保護法を背景にした「ぶっ潰すぞ」と同格の恫喝である。特定秘密保護法は昭和16(1941)年制定の国家機密漏えいを取り締まる国防保安法と同格の役割を果たしている。また、メディアが軍部と政府にすり寄った背景には彼ら支配者およびその関係者の恫喝と国家の重大事に反対するのは犯罪だというナショナリズム、関係者の不買運動、右翼のからの攻撃と圧力という構図は今も昔も変わらない。ならば小泉政権以来変質してきたメディアは本来の使命に復元できるのか?それとも彼らが戦後はGHQに手の平を返すように揉み手をして生き残ってきた歴史を繰り返すのか、が、今、問われている。
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