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2015/05/03(日)
住吉大神は日向の小門
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岡山市を流れる旭川の河口近く(福島)の河川敷にも住吉さんがある。航海の安全を守る神様だと子どもの頃聞いた覚えがある。本家は大阪市住吉区にある住吉大社であり、もと官幣大社であったという。しかし、そもそもはここではなかったと聞いている。神社縁起及び日本書紀では、神功皇后が三韓征伐の帰り道に新しくこの地にお祀りしたのだとのこと。それでは元はどこに置かれていたのかということになる。小平氏は「日本書紀にによれば、その場所は住吉大神と別名同一神である表筒男、中筒男、底筒男が居た所となるので、日向国、橘、小門(おど)の水底である。古事記及び日本書紀に見る天照大神と同じ所であることから、2代目天照大神(卑弥呼の後継者”台代”)の出身部族(南部日向豪族)の部族神である」と比定している。日本書紀にはイザナキノミコトは筑紫の日向の小門の橘のアワキ原に来られて・・・底津綿津見の命、中津綿津見の命、上津綿津見の命(阿曇連達が祭祀をおこなっている)と底筒男命、中筒男命、上筒男命(住吉大神のことである)を生んだ。そして次に左目を洗って天照大神を生んだと記している。つまり記紀によれば、2組6柱の神々は天照大神と共に生まれた神々であるということである。大和朝廷は卑弥呼と台代(とよ)を天照大神として記すことにより、また天照大神を皇祖神とすることにより、天皇家の正当性を主張するとともに、航海の神々も2組としているところにその特徴があるようだ。では、初代天照大神である卑弥呼につながる綿津見の神々は阿曇連(あづみのむらじ)によってどこでお祀りされていたのだろうか?
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