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2015/05/14(木)
金印埋納は志賀島でよかった
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今日は天気予報では晴れのち曇りの予報であったにもかかわらず朝方曇りでその後激しい雷を伴った雨となった。おかげで今日の農作業は予定が狂ってしまった。残念!さて、それでは(2)はどうであろう。志賀島は博多区役所から東北に向かい、香椎宮を経て、新宮町を左に折れ、海の中道を通って達する博多湾の入り口であり、玄界灘に面している。元寇の際の攻撃拠点ともなった場所でもあったように倭国にとっては最も重要な外交・軍事上のレーダー拠点のような場所であったと思われる。また、当時最大の輸送・移動手段は船舶であったはずである。陸上の移動手段は徒歩である。荷物の搬送もなかなかままならなかったはずである。魏志倭人伝には「倭国には牛や馬、虎がいない」と記されている。とすれば、荷物の搬送手段は人力に頼らざるをえない。となれば、やっぱり船だと言わざるをえない。そうであれば、航海の安全は当時の為政者にとっては死活に関わる問題であったに違いない。こう考えてくると、綿津見神はこの当時の神々の中でもとりわけ重要であったに違いない。そして、倭国の重要拠点であったと思われる志賀島に金印が埋納され、神事が行われていたとしても不思議はなかったと思われる。よって(2)もクリアーされるとわたしは考える。
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