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2015/05/10(日)
神にも等しい先進国・中国
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今まさに田植え前の農繁期。諸事忙しく気ぜわしい。古代の機械化が進んでいなかった人力中心の弥生時代の忙しさは想像を絶するほどであったと思われる。さて、魏志倭人伝にみられる「倭奴国」が記述上では「倭奴国」であるが、国名を著わした倭国の中の「奴国」と侮蔑した呼び方としてのな・「奴」を加えた「倭国」と二通りあると解すれば21か国の最後に「倭奴国」がもう一度出てきても不思議はなくなる。そして、筑紫国が九州を統治する国(白日別・しらひわけ)であるとすれば、北部九州が卑弥呼の邪馬台国であったと推察される。卑弥呼の部族神が綿津見神の神であったことは記紀により明確になってきた。問題は(1)倭国にとって後漢の光武帝より下賜された(西暦57年)金印がどれほど大切なものであったのか?今の時代のわたしに実感できないこと。及び(2)志賀島叶ノ浜の叶ノ崎に何故埋納されのか?ということ。(3)57年の倭奴国の神が綿津見神であったのか?つまり、魏志倭人伝(3世紀後半成立・撰者は晋の陳寿)の卑弥呼の邪馬台国が後漢書( 5世紀前半成立・撰者は南朝宋の范曄)に記されている57年の倭奴国のことかどうか?ということである。(1)については、当時の倭国にとってみればとてつもない大大国中国は文明先進国であって、その各王朝の王は神様にも等しいほどではなかったかと推察される。では(2)はどうであろうか?
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