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2015/04/28(火)
富と軍事力と呪力
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綿津見神は海幸彦に「この釣り針をお兄さんに渡すとき”この釣り針は心のふさがる釣り針、心のたけり狂う釣り針、貧乏な釣り針、愚かな釣り針”と言って、後手で渡しなさい。そうして兄が高い処に乾いた田を作るならあなたは低い処に湿った田を作りなさい。そうすれば兄は3年のうちに貧乏になるでしょう。もしそのようなことを恨んで兄が攻めて来たら、塩みつ玉(海を満潮にする呪力を持った玉)を出して溺れさせ、もし苦しんで助けを求めたならば、塩ふる玉(干潮にする玉)を出して生かし、悩ませ苦しめなさい」と二つの玉を授けました。言われたとおりにして釣り針を返すと兄は徐々に貧しくなり、攻めてきました。そこで教えられたとおり悩ませ苦しませたところ、兄は弟の護り人としてお仕えしますと降参しました。そこで、兄の子孫は隼人として今も天皇に仕えています、というものです。ここから見てとれることは、水田の作り方を航海術に長けた海の神が教えたこと、そして航海術はもちろん海戦のやり方も教えたのではないか、ということです。わたしは神話にはそのもとになる事実があったはずだと思うからです。水田経営、鉄の生産と同じく、莫大な富をもたらす古代のこの当時の航海は命がけでしたから、海の神様への信仰は一際深かったに違いありません。ここに志賀島での金印発見の手掛かりがあるのではないかとわたしは思うのです。余談ですが、熊襲は鹿児島だという説は古事記によれば比定できません。余談を今一つ。言葉は霊力を持つと信じられていましたし、呪力そのものも信じられていたと思います。万葉集も言霊であったに違いありません。
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