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2015/04/13(月)
背の低い醜い奴隷のような国
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ご支援ありがとうございました。みなさん無事に良い成績で当選できました。感謝、感謝です。さて、しばらくお休みしてしまいました。申し訳ありませんでした。それでは、続きを。「漢委奴国王」とは学校で先生に教えられたとおり「かんのわのなの国王」と読むのか。「いと」なのか、それとも「わのな」なのか。小平氏の説を読ませていただくと「それもそうか」と思う気がしてきています。彼は「わな」だと言うのです。「わなにはめよう」と言うのではありません。委は倭の人偏を省略したものだといいます。他の文献を調べてみても印の文字は省略字が多いということもわかりました。「奴」は蔑称文字を加えたものだというのです。従って、「委奴」つまり「倭奴」とは「奴隷のような背の低い醜い」という意になるので「かんのわな国王」と読むべきであり、倭国そのものを指しているのだと主張されています。伊都国でも、奴国でもないのであって「倭国」そのものを指しているというのです。もう少し調べてみる必要がありそうです。中国古代王朝が紀元前から日本列島人を「倭」(ワ、ヰ、ウエイ、ウオー)と呼んでおり、中国人歴史学者の王勇氏は「中国の史書に現れる倭人の住居地は初めから日本列島を指す」としています。日本列島側では「倭」は(わ、やまと)と呼んでいました。ではなぜ「倭」が「和」となり、「大和」となり、「日本」と変遷したのであろう?*ウエイは(中国南方音)、ウオーは(中国北方音)です。
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