たばたけんじの日記 (田畑 賢司)
元 岡山市議会議員 田畑けんじ の日々思うこと…
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2015/11/11(水) にんげんだもの
つまずいたって いいじゃないか にんげんだもの 相田みつを
「相田みつお美術館」に行ってきました。「にんげんだもの」「おかげさん」で有名な方ですが、彼の思想と言いますか、彼の詩の原点を知りたいとはかねがね思っていました。行って良かったと思います。彼の詩の原点は禅宗にありました。曹洞宗の開祖・道元が著した「正法眼蔵」をなんども何度も読み返し、書き込みをしている本がありました。書家として一流の彼が書と詩の融合の高みを目指して到達したのが短詩とあの書体でしたが、短詩は長い(時間だけではなく詩そのものも、そして思考も)詩作の過程を経て残った珠玉言であり、文字も何枚も何枚も書いて書いて書いて到達したものでした。そうだからこそ人の心を打つ芸術となりえたのだと悟りました。わたし自身ももっと真剣に向き合わなければならないのだと気づかされました。ありがとう。

2015/11/07(土) 故郷人
赤旗新聞の集金のため奥田へ行く。この週一度の配布と月1度 の集金活動は転居してから1年半になる。全額持ち出しの交通費もなかなか気になるところだが、それ以上に時間も惜しい。往復1時間20分は最低でも必要である。そして集金もなかなか一度では済まない。Fさんはいつも釣銭に困らないように小銭できちんと用意してくださっている。本当に有難いことです。奥田に行って今日はふと思い出したことがある。奥田2丁目一帯を所有していたこれまた別の名字のFさん一家のこと。ぼくが子ども自分のことですが、田んぼをすべて飲んでしまった結果、一家が夜逃げ同然にいなくなりました。それ以来時折「どうしていらっしゃるのだろう」とふと思い出すことがあります。この事件は幼いぼくには衝撃でした。以来家族に迷惑かけないようにしようとどこか心の奥底にブレーキが知らない間にかかっています。
田も畑も売りて酒飲みほろびゆく故郷人にこころ寄する日 啄木
ぼくの人生の中で他山の石となっているのでしょう。感謝しなければならない人々だとも思います。

2015/11/06(金) 庭にくる鳥
昨日から山茶花が真っ白な花を咲かせ、わたしを楽しませてくれている。奥田の庭で両親が育てていた中庭のやつだ。これはわたしが去年奥田から現在地に引っ越しをする際に移植したやつで根付くかどうか心配していたがどうやら無事に根付いたようだと安心させられた。奥田から移植した樹木はこの山茶花と椿3本及び南天であるが、これらは共に大丈夫根付いたと思われる。先月妻のバースデイの記念に薔薇を購入した。花が散ったら庭植えをし、薔薇のバースデイコーナーを創ろうと約束した。花が散ったので、山茶花と椿の間の日当たりの良い処に薔薇を植えた。今朝、戸を開け、庭を眺めると黒と白のダンディな鳥が薔薇の木にとまっている。尾っぽを左右にしきりに動かしている。そうやってしばらく薔薇の木にいたのだがわが家の猫のモルツ君がそ〜〜っと近づくとその気配を察してツイと飛び立った。その時、ふと思った。野の鳥や庭の鳥を見て楽しむことができるということは本当に幸せなのだと。そして、物理学者・朝永振一郎氏の「庭にくる鳥」という随筆を思い出した。冬になるとリンゴを半分エサ台に置くとひよどりやむくどり、おながなどがやってくる。その糞の中の種を育てていたが、この鳥たちがさまざまな木の実を食べていたことがわかった、と。しかし、最近は都会化して観ることができなくなったというお話だ。明後日、8日は立冬である。わたしもリンゴのエサ台をやってみようか、と思った。怠け者のわたしの継続実践が可能かどうかという不安も同時に感じながら。

2015/11/05(木) 季節外れのタンポポ
今日は娘夫婦がやってきた。畑のナスの収穫とナスの木の処理をしてもらった。その後、雪舟和尚涙の鼠絵で有名な宝福寺へ紅葉狩りに出かけた。出かける前に畑の端っこにタンポポが咲いているのを見つけた。季節外れのタンポポは懸命にお日さまを探しているようだった。なんだか背伸びしているようだ。タンポポは花が咲き終わると茎がいったん倒れて横たわる。しかし、種が熟す頃にまた立ち上がる。その理由は綿毛の種が少しでも遠くへ飛ぶように花が咲いていた時よりも高く背を伸ばすのだという。子孫を残すための懸命の努力の結果だ。娘にも早く子どもが生まれるといいのにと思ったが、口には出せなかった。
俵万智さんの歌に  「タンポポの一生」という幕降りて軽き綿毛にまたかえりゆく  という一首がある。
これも口にしなかった。
ベランダのコンクリートの割れ目からそっと世界をのぞくタンポポ
  は自分かなとふと思った。

2015/11/03(火) 卑弥呼の鏡
奈良県立橿原考古学研究所の清水康二主任研究員が三角縁神獣鏡の鏡に残った鋳型の傷から舶載鏡1枚とぼう製鏡3枚が同じ鋳型から作られたことを突き止めた。舶載鏡は中国製で文様が正確であり、ぼう製鏡は国産で文様が簡略だとされ、卑弥呼が中国の魏に使いを送った景初3年(239年)を銘文に持つ鏡があるため魏から卑弥呼に送られた鏡だとの説がある一方、中国では1枚も出土していないことから国産説との間の論争があった。三角縁神獣鏡は古墳時代の早い段階で古墳に副葬された縁の断面が三角形になっているものであるが、日本では500枚以上が確認され、うち、中国で作られたとする舶載鏡が4百枚近くとされてきた。清水さんが3次元形状計測により鏡の精密な画像を分析したところ、傷の具合から舶載とされるヘボソ塚古墳の鏡、ぼう製とされる鶴山丸山古墳、長塚古墳、泉屋博古館の4枚は文様は違うが鋳型が同じと判明した。となれば、すべてが中国で作られたのか、あるいはすべて日本で作られたかということになり、舶載か、ぼう製かの議論は意味がなくなったといえる。さらにわたしには、卑弥呼は日本ではなく、倭とは古の伽耶国であり、卑弥呼は伽耶の女王であったとする山形説の信ぴょう性が増したと言える結果だとも思える。魏が卑弥呼に遣わした鏡は現在の韓国の地に眠っている可能性があるのではないかとわたしは思う。

2015/11/02(月) 六ケ所村はどうするの!?
青森県六ケ所村に日本原燃の使用済み核燃料の再処理工場があると聞いています。わたしは見たことはありませんが、ここではウラン濃縮や原発解体時に出る放射性廃棄物を埋設しているとのこと。原発から出る使用済み核燃料からウランと毒性の強いプルトニウムを再処理工場で取り出しているとのことですが、もっと濃縮すれば核爆弾、核兵器が作れるはずです。この施設は政府が「核燃料のサイクルをはかる」と1993年に着工。事故やトラブルがあり、22年経っても未完成、というのは、核兵器生産の目途が立たないからだとわたしは思っています。全国の原発施設から受け入れた使用済み核燃料の貯蔵プールはほぼ満杯だそうです。川内原発再稼働、伊方原発や福井の原発も再稼働に向けて動き出そうとしています。出力百万kwの原発1基の再稼働で年間21トンの使用済み核燃料が排出されるとのことですから貯蔵さえ出来なくなります。福島原発の事故さえまだ終息できず、汚染水を垂れ流してきた原発。海際に遮水施設を完成させても敷地内に垂れ流すことは変わりません。この状態の中で原発再稼働を強行する背景は核兵器生産を目的としている以外には考えられません。テロ集団や犯罪組織が六ケ所村を襲撃したら政府はどうするのでしょう?いよいよ戦時体制に突入ということになるのではないでしょうか。今回の安保法(戦争法)はここにも危険が潜んでいます。こんなもの早く止めて、税金の無駄遣いを止めるべきだとわたしは考えます。 


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