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2015/11/24(火)
当時書記の学校があった
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バビロンの都、アッシュールにおいても書記たちは貴族階級に属していた。書記たちは文字が書け、発音を覚えているだけではなく、文脈に応じて変わるさまざまな意味に通じていなければならなかった。そこで、当時すでに書記を養成する学校があり、厳しい教育がおこなわれていたという。読み書きができることはすでに権威であり、力であった。そして、この能力はその後も特権でありつづけたのである。貴族や金持ちが一族の特権を持ち続けるために子どもたちの教育に熱心であったことは疑いない。書記養成の厳しい教育があったことは各種の粘土板の資料や学生たちが宿題と練習問題を懸命にやっていた資料が残っていることによって伺い知れる。今日の私学小中高などから東大、総務または財務官僚へとの道筋と大差ないといえるのではないだろうか。こうして楔形文字はアッカド語以外の言語の表記にも使われるようになっていった。例えば、エラム王国(イラン西部)、ヒッタイト(トルコ東部)、アケメネス朝ペルシア王の国と言う具合に。さらに、パレスチナ南部やアルメニア北部にまで民族を越えた多言語へと波及した。このように文字は秘めた力を持っていた。われわれ日本人のほとんどは文字の読み書きができるのであるから自らを卑下せず、特権の持つ悪に対しても文字を記し、発言すべきではないだろうか。一方、エジプトと中国でも、つまり世界の両端でもパピルスや竹木、骨、石などに自分たちの歴史を記録した。これは神様からの贈り物ともいえよう。
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