|
2015/11/17(火)
言語と文字について
|
|
|
最近は一瞬一瞬が消え去ってゆくことに思いが深まるようになってきた。年をとったせいだろうと思われる。そうするとわれわれ人類の祖先は言葉をいつごろからどのようにして使うようになったのかと思うようになった。わたしが学生の頃には確か60万年前と言われていた記憶があるが、今では200万年前あるいはそれ以上前だと言われている。猿から人間に進化したわれわれの祖先は直立歩行を始めた。この頃、言語を使用していたのであろうか。それともどこかのいつかの首相のように「あ〜、う〜」と言いながら身振りや手降りで意思を伝達しあっていたのだろうか。これはこの人をけなしているのではなく、文字を使うこの人の素晴らしさの方に焦点を当てていると考えていただきたいのです。ある言語学者によれば言語の起源は実証の域に入っていないとのことで、実証できるのは人類が文字を創造してから以後だという。しかし人類が文字を使わない記憶による伝承をおこなってきたことも事実である。インドのヴェーダ、ホメーロスのイーリアス、オディッセイアなどがそれを証明している。わが国の古事記などもその一つではないだろうか。但し、日本語は中国生まれの漢字と漢字を発展させた仮名文字を組み合わせた複雑な文字用法となっている。従って、欧米の文字学と中国の文字学とは別の文字学が必要ではないかとわたしは思っている。言語学とその一部としての文字学はもっと発展させるべきだとわたしは思う。なぜなら言語とは?文字とは?を根本的に研究しなおすべき時代に突入していると思われるからである。安倍自公政権が大学での研究をはじめとする人文系学問を切り捨てるやり方は歴史に対する挑戦と思えてならない。今日のネット時代に、宇宙時代における一瞬一瞬消え去ってゆく歴史をどのように保存すればよいのか、次の世代にどう伝えてゆけばよいのか?について今こそ真剣に考えるべき時ではないだろうか。
|
|
|