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2015/10/10(土)
ぼくは嫌われ者だった?
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ぼくは嫌われ者だった?というのも、仕事をしていた当時、仕事を一緒にやっていた仲間の一部の方々から「厳しすぎる」と非難された。ぼくは当たり前の事を言った積りですからそれほど厳しい指摘をした覚えはなかったが、受け取る側はどうもそうではなかったようである。なぜだろう?と考えてみた。戦中(S19年)生まれの戦後育ちが一つの原因かも知れないと思う。まったく戦争の記憶はない。しかしひどかった戦争の悲惨さはよく聞かされている。しかし、親は戦前の封建的教育を受け、それを当然の事として身につけているため、その教えを子供に教える。ここに矛盾点がある。だって、世の中は戦後の教育感で溢れかえっているのだもの。しかし、親や世間の日常的教えである戦前の古き価値観、仕事は厳しくあれなどに縛られていたのかもしれない。だが、戦後時代を一生懸命に働いてきた。確とした自覚はないが、時代を担ってきたことは確かだ。戦争の記憶のない世代として71年間生きてきた証は「戦争反対」の意思表明だ。だが、朝鮮戦争を経て米ソ冷戦下の時代を長く経験し、ベトナム戦争に反対し、ソ連崩壊を体験し、米国の経済力低下と金兌換廃止及び脱落した世界の憲兵を観てきた。そして、それでも米国に縛られ、しがみついている日本の政治を観てきた。このようにして生きてきたぼくが老年を迎えている。ぼくはどう生きるべきか。今改めて考えるべき時に来ているのではないかと思う。と思いながらも、ぼくはぼくだから、頑固に嫌われ者でいいのかも知れないや、とまた振り出しに戻ってしまうぼくがいる。わがままと言われようが、人の意見を聞かないなどと言われようが、勝手にしやがれと思うぼくがいる。
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