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2013/07/17(水)
不安と期待とがもたらす魔性
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不安というものは人にとって大切であるとともに不幸をもたらすものであるともいえる。不安というものはどんなに心に鍵をかけても忍び入る奴のようだ。希望と不安が交互に寄せては返す波のように押し寄せてくる。だから人は向上しようと努力する。しかし、加齢による不安、病気による不安、将来への不安、記録達成への不安・・・さまざまな不安が人をあらぬ方向へとおいでおいでをする魔性に負ける場合がある。そこまで行けばもういいだろうという人たちをもその餌食にする。米国のゲイ選手、ジャマイカのパウエル選手が今ドーピングの渦中にいる。世界超一流選手である彼らでさえである。ジャマイカのボルト選手にはかなわない、なんとしてでもボルト選手に勝ちたいと思ったからであろうか。だが、ドーピングは競技人生のみならず、これまでの人生そのものをも葬り去る魔性物である。われわれ日本人の行く手にも魔物が潜んでいる。経済、カネという魔性は明るい近未来を描いて見せる。憲法改悪という魔物がもつ魔性には気がつかない。地球激動の時代をどう生きるか、はわれわれが反問しなければならない超重要課題である。われわれは「ねえ、あなた。この廊下に軍靴の音がかすかに聞こえてきませんか」と言う老夫人の声を聞き逃がさないようにしなければならないのです。
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