|
2013/06/24(月)
朝の僧南瓜の蔓を叱りおり・大串章
|
|
|
カボチャの花が咲き始めた。なんという取り柄もない花だが、あの黄色いラッパ状の花の美しさは言いようもなく美しい。茎がまたすごいのだ。中がからっぽのつるが地面を這うが巻きひげでなんでもからみ、捕まえる。表題の句はそのあたりをよく言い得ている。カンボジャから来たからカボチャというらしいがナンキンともとうなすとも、またぼうぷらともいう。ナンキン、とうなすは南瓜、唐茄子だから中国を連想させる。ぼうぷらはわからない。地方の方言だからあまり気にしなくてもいいだろう。子どものころ、カボチャの実がなる季節には朝も、昼も、夜もおかずはカボチャだった。朝から晩までカボチャじゃ真黄色になってしまうと思ったものだ。母に不平を言うと母が威儀を正し、座りなおして「けんじ!よくお聞き。不平なんか言うもんじゃない。食べられるだけでもありがたいと思いなさい。そして、朝はナンキン、昼はとうなす、夜はカボチャがお菜だと思いなさい。そうすれば、いいですか、同じものでも同じじゃないでしょう。わかりましたか」と屁理屈で説教をはじめるのには閉口した。振り返ればほっとする想いででもある。 カボチャ咲く畑の上や銀の空 雨が今にも降り出しそうな、空が今にも泣き出しそうな梅雨の空にはカボチャの黄色い花がよく似合う。
|
|
|