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2013/03/27(水)
ゆく河の流れは絶えずして・・・
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流転とは「流れ移ること、移り変ること」と辞書にあり、仏教用語では「生まれ変わり死に変わりして極まりないこと。輪廻」と説明している。今日の雨でたくさんの桜の花が落ち行くことだろう。しかし、この桜木は来年もまた美しい花を咲かせ、楽しませてくれるに違いない。春はほんとうにさまざまな変化が起きる季節だ。木々の芽吹き、啓蟄(虫がうごめき始める)、職場では去りゆく人と移りくる人、蝶はさなぎからほんとうの蝶になるという具合に。さなぎから脱皮して成虫となるものに夏には代表格の蝉がいる。日本には四季があるから面白い。この日本の四季の変化のなんと楽しいことか。神様だってお住まいになる場所をお変えになるのだ。数年前のことだが、出雲大社に出かけた折、神様がお住まいになる場所を変える「遷宮」の準備をしていると言われていた。伊勢神宮その他のお宮も「遷宮」をされるようだ。変わることは再生することだという。人もそうだ。ヒトの細胞ももとの細胞と同じ細胞が新しくつくられ、数か月でそっくり入れ替わっているという。だからヒトは垢を落とすために湯につかるのだ。それにしても「変わらないために変わる」とはすごいと思わざるをえない。3年ぶりに出会っても知人は「やあけんちゃん」と挨拶してくれる。3年前のぼくは今日のぼくとほとんど変わらないからなのだ。変わることは新しく生きることだと鴨長明は「ゆく河の水は絶えずして しかも 元の水にあらず」(方丈記)と「流転」の真理を言いあてた。どうすればこのような真理眼をもつことができるのだろうか、と軒を打つ雨を見ながら思った。
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