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2013/03/23(土)
桜に吹かれて
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市役所近くの枝川の桜が1分咲きになった。まだハラハラとまではいかないが風に散る白い花びらに郷愁を覚える。わたしは小学校5年生まで大寺という名の法華寺のある妹尾というところで育った。丘あり、川あり、少し足を延ばせば海があるというとても楽しい少年時代を過ごした町だ。父は昔ながらの漁村の趣を残すこの町を嫌った。だからわたしは転居を余儀なくされたのだ。狭い路地の入り組む雑然としたこの町に戻るとわたしは強い嫌悪感と同時に愛着を覚えずにはいられない。嫌悪感には古さと父の姿が重なり、愛着には風に舞う桜の花びらが重なって見える。わたしが住んでいた家の裏山には荒神様があった。荒神様から神社の境内に至る桜はなんとも言えず美しかった。桜吹雪の中でドッジボールをしたこともある。丘から見下ろす田園風景はこれまた美しかった。東京の喧騒と賑やかさをもたない岡山市は東京よりはいい。けれども岡山市も50年前とは打って変わって田園風景も旭河原のよささえも無くしてしまった。そして、岡山市はやはし賑やかである。ところが岡山市と同じく田園風景を無くしてしまった妹尾ではあるが、路地の入り組む雑然とした街並みは変わらない。夕空を見上げれば半径1mもありそうなお月さまがのっぽりと赤い顔をだしそうな気がしてくる。大きく、すさまじく変化を遂げてゆく日本の中に、路地で牡蠣を打つ女性たちの笑い声が絶えない昔ながらのそんな町が残されてもいいのではないかとわたしは思う。技術大国日本はいったいどこへゆくのだろう。
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