|
2012/08/12(日)
福島原発事故から1年5カ月・・(14)
|
|
|
大熊町の双葉病院で寝たきり患者の救出が遅れ、多数の死者をだした事態を招いたことは極めて不適切といわざるをえないと批判された政府の避難指示は「避難経路や方法に混乱を生じさせ」「多くの人が複数回の避難を強いられ」「避難指示が遅れた」ことなどの問題を露呈した。政府は昨年3月11日、原子力緊急事態宣言(宣言の遅れも問題である)をだし、福島第一原発から半径3km圏内に避難を指示。1号機の水素爆発が起きた翌12日、避難範囲を10km圏、20km圏に拡大した。さらに4号機が水素爆発した15日に20〜30km圏に屋内退避を指示した。いずれも同原発から同心円状に範囲を設定し、避難・屋内退避の範囲を拡大したことから、多くの住民が複数回の避難をさせられたうえ、高い放射線量の地域に避難した人も大勢でた。このことについて国会事故調は「政府は非難の判断を住民個人に丸投げしたともいえ、国民の生命、身体を預かる責任を放棄したと断ぜざるをえない」と厳しく批判している。岡山市においても東南海・南海地震が想定されているにもかかわらず、旧深てい小跡地を川崎病院に貸し与えるなど企業癒着を進める高谷市長と同じである。犠牲者がでてもそれは知らなかったとしらばっくれる体質は同じであろう。この人の道に反した営利行為を縛る方法はないものか、とわたしは悲しい思いに囚われる。原子力規制委員会を独立させても白アリが巣くう巣窟になると思うとぞっとする。
|
|
|