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2012/04/16(月)
だみ声を残してゆけり明け烏
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今朝の山陽新聞に珍しく(と言っては、山陽新聞さんに失礼だがあえて言わしてもらうと)戦後の社会保障運動の先駆けである朝日茂さんの特集記事が掲載された。1913年生まれの朝日さんは人生の大半を国立岡山療養所で肺結核の療養生活をおくることを余儀なくされた。その闘病生活の中であまりにも貧しい生活保護基準を改善してほしいと国を相手に憲法25条の最低限度の生活を維持するとは?と問いかけ、訴訟した。1960年1審は勝訴したが、63年の控訴審で敗訴。その翌年の64年に死去された。訴訟は小林夫妻の養子縁組により継承されたが、67年上告人死亡を理由に裁判に終止符が打たれた。裁判所が3権分立ではなく、国の出先であることも証明されたのだ。そしてまた国は裁判を終了させたものの実質的には改善するほかなかった。が、また後退がはじまった。しかし、この闘いは今もその心が引き継がれている。生保制度で70歳以上の高齢者に支給されていた「老齢加算」廃止は憲法25条と生保法に違反すると訴訟が提起されている。いつも弱者を切り捨てる為政者たちの切り捨ての歯止めに憲法がなればいいがと祈る気持ちだ。ある方がわたしにこう言ったことがる。「朝日はけしからん。国に頼るな。自立自助が原則ではないか。カラスと同じで嫌いだ」と。当然わたしと口論になった。彼にはだみ声に聞こえた烏の声であっても、わたしには時代を切り開く明け烏の声に聞こえる。聞こえ方が人によって違うのではなく「人が生きることへのいたわり感」の違いではなかろうか。一人ひとりの人がいてこその国ではないかとわたしは思う。一人ひとりの人がその人生をまっとうできる支援をするのが国ではないかとわたしは思う。
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