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2007/01/16(火)
伝説のドラム 中川勝利凱旋帰福!
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今日は自分にとって素晴らしい日であった。 ウルトラオブリを1993年に立ち上げて、1993年から2000年まで俺を支えてくれた仲間が福岡に久々に帰って来た。 名前は、中川勝利って言うんだけど、名前と正反対で優しくて気が弱い…(笑)。犬にも弱い…。 オブリを立ち上げてすぐに、一緒に創設したマルが仕事の夢を持って上京し、残された俺らはゼロからのスタートだった。 そんな、大事な時期に一番俺を支えてくれた男でもあった。 当時は、お金も何も無い時代にいつも一緒にいて、ちっぽけなサポーター集団からどうしたら戦えるようになるか、いつも俺の部屋でビデオ見たり、雑誌を読んだりしていて、セリエの応援はこうだとか、プレミアはああだとか、ボカはこんな応援をやっているとか色々と語り合った記憶がある。 まあ、当時は携帯も無ければ、ネットなんかもなかったし、日本の端っこの九州で入手できる情報は限られていた。 そんなオブリの成長期を共にして、予備校も大学も同じで、いつもなけなしの金でアウェーに鈍行で行っていた。 当時俺が21歳だったかな、アウェーに行っても、ゴール裏は俺ら二人とかだった(笑)。 とりあえず鈍行列車で、俺と中川と太鼓と旗とトラメガのセットを持って、日本全国飛び回った。 しかし翌年ぐらいに、弟弟子の健太郎と出会い、中川は年下の健太郎にすぐに追い抜かれたのは言うまでも無い(笑)。 でも、オブリの歴史を支える中で、外せない人物でもあり、俺自身も中川と出会いはすごい影響があった。 それ以来、俺と中川と健太郎はいつも一緒だった。温厚な中川と武闘派の健太郎というバランスだったかな(笑)。
当時から俺は腰痛持ちで、中川にはいつもマッサージをしてもらっていた。 そして、2,000年のある時に「圭吾さん、俺東京に行きます」と言って驚いた。 いきなり「東京に行って、整体師になります」と言った。 いつも中川に腰を揉んでもらっていたけど、別に手に職があるわけでもなかったし、彼がそういう道を目指すとは思ってもいなかった。普通のサラリーマンになると思っていたしね…。
そんな彼が荷物一つで上京し、今では治療所を任されるぐらいになったらしくて、自分も嬉しかった。 そして、今回結婚することも決まり、その報告で婚約者を連れて福岡に帰郷した。
そんな感じで、昨日は昔の思い出が詰まった『てぼ』で、新旧の仲間が20名近く集まり、中川を囲んだ。 まあ、彼女の前で昔の恥ずかしいネタが全て暴露されたのは、言うまでもない(笑)。
今でも太鼓の音の呼吸が一番合うのは中川で、彼を超える男が現われていない。 俺自身も付き合いが長かっただけに、お互いどういうことを試合中に考えているのか分かっていた気がする。
そんな中でも一番記憶に残っているのは、1998年11月19日の入れ替え戦のフロンターレ戦の中川の太鼓は今でも目をつぶれば記憶が蘇ってくる。 あの『神を見た夜』の日なんだけど、あの日の中川のドラムが彼との思い出である。
そんな彼も東京で活躍して、アビスパにはあまり来れなくなったけど、また時間の余裕が出来たら彼と共にアビスパをサポートしていければと思う。 まあ、今後の彼の活躍を幸せを応援したい。おめでとう!中川勝利
中川たちと『てぼ』で飲んでいる中で、中川が上京した後、慎悟が俺の腰のマッサージ係になったという話が出てきた大爆笑だった(笑)。 慎悟までも整体師にならなくて良かったよ(笑)。彼は立派なエリートコースまっしぐらです(笑)。 この日は、大学時代のサークル『ハンサム団』のトッチも来たし、久々に美味しい酒が飲めて素晴らしい日だった。
写真は、10年前の中川と10年後凱旋した中川勝利
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