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2006/07/03(月) 男の決断
 夜に流れたニュースに日本中に激震が走った。
「中田英寿引退…」


これは、俺自身も正直驚いた。
しかし、彼特有の哲学があっただろうし、ある程度は完全燃焼したのであろう。
今回の2006ドイツ大会に関しては、思い通りの結果は出なかったが、プロサッカー選手を仕事として考えた場合は、日本人で一番になったし、残した功績や貢献度も素晴らしい。
男の仕事として満足いく仕事が出来たのであろう。

まあヒデは、サッカーを奪ってもいろんな才能もあるんであらゆるジャンルで活躍できるだろう。
是非とも第二の人生を楽しんで欲しい。


彼との思い出は、聖地国立で、アビスパがベルマーレと戦ってヒデのパスにやられたこと。
そのころから十分に存在感があったね。
まあ、ジョホールバルとかでも輝いていたしね。

俺自身、世界各国渡り歩いた中で、アジアでもヨーロッパでも「ナカータ」とよく声を掛けられた。
海外では、「ハロー」とか「ハーイ」とかの挨拶変わりに日本人を見て「ナカータ」とよく声を掛けてきたもんだった。
「小泉」とか「ナガシマ」とかは言われたことが無いわけで、彼の知名度は海外では絶大だった。


まあ、俺が生きている間にヒデを超えるジョカトーレが出てきて欲しいね。
ヒデお疲れ様






話変わるけど、マラドーナはスタジアムにいなかったんだね(笑)。
連れが入れなかったのも意図的かもね。まあ、ルールはルールなんで仕方がないのかな。
マラドーナがいたら、勝っていたかもね。





今日の写真は、ヒデがあまり出場機会に恵まれなかったけど、ローマ市民には絶大な知名度があったスタディオ・オリンピコ


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