ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2006年12月
前の月 次の月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
最新の絵日記ダイジェスト
2007/09/05 報道について
2007/09/02 誤審
2007/09/01 山本 圭吾選手第1子誕生のお知らせ
2007/08/31 法人化ごあいさつ
2007/08/30 痛い敗戦

直接移動: 20079 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200612 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200512 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200412 11 10 9 8 7 月 

2006/12/30(土) 2006年のアビスパを振り返って…
今年のサポート活動は、非常に我慢を強いられる年だった。サポーター人生の中でこれほど我慢をした年も珍しい。
昨年のJ1復帰から一年で降格した一年だったが、言うなれば『迷走』という言葉が一番当てはまると思う。
4年目の松田体制でスタートし、開幕の磐田戦を見て、フォワードを獲得すればこのチームは何とかやれるかもしれないという希望もあったし、3節の千葉戦まではそれなりのサッカーが出来ていたと思う。
今年のアビスパは誰が見ても分かるように、FWの補強の失敗が全ての始まりだった。
もちろんこの戦力では勝てないアビスパは限界があった。勝てないと選手のモチベーションの低下や監督の求心力の低下から始まり、スポンサーやサポーターの不協和音もだんだんと出てくるわけだし…。
しかし、毎年のようにその責任を取る人間がいなかった。しかも、タイミング悪く4月で社長も変わったわけだし、傷口はだんだん広がっていった。
まず、リーグ戦途中にトップの社長の人事異動というアビスパの体質があり得なかった。
しかも外部からサッカーは素人の社長を連れてくるわけだし、引継ぎ期間とかほとんどなかった。
そして、その新社長は就任2ヶ月で監督を更迭するという策を取った。
第12節の広島戦に負けた時、監督更迭もありえると思ったが、FWの補強が先だと感じていたので、我慢していた。
しかし、トップが下した決断は、サポーターも分かりにくい決断であった。
自分も正直困惑したし理解に苦しんだ。このままだとサポーターも荒れると感じた。
恐らく、長谷川強化グループ長と都築社長の決断だったと思うが、狂った歯車は、おかしな方向へ向かい始めた。
自分としての松田監督体制は、4年は長いと感じていたけど、クラブの予算を考えると受け入れていくしかなかった。
しかし、結果が出ないと、サポーターからも色んな不満が出てくるわけで、その不満の矛先はみんなバラバラでスタジアムは収集のつかない方向へ向かって行った。


その時自分が一番感じたことは、2002年の今井体制の混乱が常に頭の中に過ぎった。
この時の混乱の原因もフロントにあった。今までのアビスパの歴史でこの年のサポーターが一番荒れた年でもあった。
サポーターも一歩も引くことがなく、フロントと徹底抗戦が続いた。
しかし、自分の仲間が起こした行動で、事態は違う方向に向かってしまって、失ったものは大きかった。
大事な仲間も失ったし、色んな人を巻き込んでしまったことは、今でも反省しているし、2度とあのような事態にはなりたくないし、なってはいけないと心に誓っていた。
フロントは敵か味方かと言えば味方である。しかし2002年は明らかに敵の立場で徹底抗戦だった。
その時の経験が今年の混乱時期にいきていた。あの年の苦い経験がなければ、今年はもっと混乱していたかもしれないし、サポーターの暴走にもつながったかもしれない。
とにかく、あの年は失ったものが大き過ぎた。サッカーを楽しみにスタジアムに来ているはずが、脱力感以外何も残らなかった。だから、今年は、こういう時こそ冷静に考える自分がいた。

2002年に混乱した時、J2の他チームにとってはアビスパの混乱は好都合だったし、それでも選手たちはピッチで全力で戦っていた。バラバラなクラブの状態がもたらしたのは、マイナスの要素しかなかった。
だから、今年はクラブが迷走しても、J1残留という目標に向かってまとまるしかないと思った。

非常に我慢した一年だった。『残留』という幕やメッセージボードなど、絶対に掲げたくなかった。
愛するクラブのそんな痛々しい状況をさらけ出したくなかったし、自分らのサポートスタイルにもプライドを持っていたので、正直悩んだ時期もあった。
しかし恥も承知でプライドを捨てて、クラブのために一つになるためには『残留』という言葉でまとまるしかなかった。
どんなに苦しい時でも、選手だけは信じた。選手もそれを感じてくれていたと思う。
しかし、俺らには力がなかった。『FWの補強の失敗』という言葉で片付けることは簡単だが、それ以前の問題が山積している中でのJ1復帰のつけが回ったと感じている。
特にこのクラブは、体質を変えなければ同じ歴史を繰り返すだけである。
まずは、退路を断った社長が腰を据えて熱意を持って経営して、強化担当もGM制度を導入しなければ、役所体質の生温いクラブの変化は望めないと思う。
そうでなければ、強化部長に責任を問いただしても「クラブが決めたこと」とか「クラブにお金がない」という言葉で簡単に片付けられてしまうと思う。


来年からリトバルスキー新体制に変わるが、本当に1からのスタートである。
しかし、サポーターも今までの経験を活かして強くなり、いい形でクラブを支えて行ければと思う。
そして、次にJ1に復帰する時は、強くなったクラブでJ1に戻りたい。
強いクラブとは強いチームではない。クラブ、スポンサー、サポーターが力をつけたということである。



アビスパサポーターにとっては、忘れることのできない残念な年となったが、来年も宜しくお願い致します。
一緒に戦って、支えてくれた皆さん一年間お疲れ様でしたm(__)m


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.