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2004/11/01(月) ときめきを今…
 昨日は、高校サッカーを見に行って昔のことをいろいろ思い出したんで、俺にとっての高校サッカーを書いてみる。

俺にとって高校サッカーって特別なんだよね。眼を閉じると今でもいろんなシーンが思い出される。それも、冬の選手権は負ければ、そのチームは解散というか引退しなければいけないんで、非常に酷にも感じるし、言葉では表せないくらいの様々なドラマがある。
俺も今はアビスパを応援しているが、仮にアビスパが負ければ、サポーターを解散し、応援することができなくなるとか考えたら、恐ろしい。

自分自身の大濠サッカー部時代の思い出は、やはり福岡県大会で東福岡を倒して優勝し、全国大会に初出場したことだろう。
その時俺は、3年生で受験を選んで、インターハイ後に引退していた。
インターハイ県予選までは、高校2年の後半から遠征とかに行く20名のメンバーに選ばれていた。ポジションは太宰府中まではDFだったが、攻めるのが好きだったので、大濠ではFWに転向し、監督もFWで使ってくれた。
しかし、一般で入った俺にはレギュラーを狙えるまでの実力は無かった。いつも俺は練習が終わった後、小野ちゃんという同級の部員にシュート練習を付き合ってもらった記憶がある。スピードやテクニックがあるタイプでなかったんで、キックの精度とどこからでも打てるシュートで勝負していた記憶がある。
当時部員数が60名ほどいる中で、高2の新人戦ではベンチ入りメンバーを逃したが、その後九州大会予選のメンバー発表でベンチ入りの17人のメンバーに選ばれた時、すごい達成感があったことを覚えている。今思えば、俺の中でこの時点で満足していたのかもしれない…。FWで3番手4番手だった自分は、出番がほとんどなかった。
しかしながらも、この頃の自分は、サッカーの漬けの生活に充実していた。遠征ではいつも、国見や鹿実と練習試合をしていた。同級には、国見だと、GK塚本やジャンボ上村、鹿実には前園や藤山、仁田尾がいて、年下には三浦淳や永井弟や遠藤、城もいて、よく対戦した。
そんな中で、夏のインターハイ予選で敗退し、進学校に一般で入学した自分は、引退するか選手権まで続けるか選択を迫られ、どうしても早稲田のサッカー部でサッカーをしたかった自分は、受験を選び引退した。
その後、推薦や進路が決まった3年と2年生に在籍したスーパーエース林田(後に福大で10番をつける)が活躍し、東海大五や東福岡を撃破して、全国大会初出場を果した。
東福岡を倒し優勝した日は嬉しかったが、その日の夜、決勝が行われた春日公園球場から家に帰って布団の中で朝まで泣いていた記憶がある。
『俺は、どうして引退してしまったのだろうか…』
小学校の時から高校サッカーで国立に行くのが憧れでやってきたはずなのに…。小学校の時もよみうりランドを目指し、中学校でも筑前大会で優勝し、県大会まで残った。
考えてみたら、小学校の時から誰よりもサッカーを愛し、サッカーとともに人生を歩んできた。高校時代も3年間サッカー部で朝連や休日なしで練習試合や遠征をこなしながら高いレベルでやって来た。
しかし、自分が選んだ選択肢をこれほど後悔したことは今までなかった。
もし、引退してなかったら国立で入場行進もできたんではないかと…。自分は、非常に自分の選択を憎んだ。
なんか、小説っぽくなってきたんだけど(笑)、その後日本のプロサッカーリーグの夜明けと衝撃的な出会いをすることになる。
その後早稲田の受験に失敗し、浪人することになったんだけど、不完全燃焼でサッカーから離れていた俺は、サポーターというサッカーの別舞台と出会い、『福岡にプロサッカーチームを作ろう』という目標を立てて、全パワーを注ぐことになった。(勉強せずに、いろんな活動をしていたことは、少し懺悔)

それがウルトラオブリの原点で、盟友のマル(筑前高校サッカー部)のマルと出会い、ウルトラオブリを結成した。
俺にとってみても、こんなにサポーターにのめり込むとは正直思ってなかった(笑)。
今、ウルトラオブリのイメージがどう思われているか分からないが、いろいろ考えてみて原点は、大濠で過ごした3000人の男臭い男子校独特のノリをそのまま表現しているような気がするし(笑)、博多のノリに合っていると思う。
高校サッカーで完全燃焼しきれなかったことをばねに、現在アビスパ福岡でウルトラオブリとともに完全燃焼したいと強く思っている。
ウルトラに引退はない。孫の代までウルトラでいるだろう…(笑)。


最後にオブリの若手の直樹とかが高校サッカーで最先端で頑張っているので、高3まで悔いのないように高校サッカーを完全燃焼してもらいたい。彼女は引退してから作りなさい…(笑)。




今日の写真は、タンスの一番奥に保管されていた、大濠時代のユニフォーム&今の現役の大濠イレブン
なぜか『12番』。これは、将来サポーターをする前兆だったのか…(笑)。      


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