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2004/08/15(日)
8月15日に思う事
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うちのじいちゃんにはオヘソがいっぱいあった。 オレが子供の頃じいちゃんと一緒にフロに入った時「何でおじいちゃんのお腹には穴が一杯あいてるの?」と聞くと、じいちゃんは「じいちゃんにはオヘソが一杯あるんだよ」って笑って答えてくれたっけ。 そんなじいちゃんも亡くなって3年が経つ。。。
じいちゃんはばあちゃんと結婚すぐ、満州に渡って満州鉄道に勤めていたらしい。 そこでオレのお袋が生まれた。 お袋が生まれてまもなく、じいちゃんは召集されては戦争に行った。何でもソ連戦線の前線の方だったらしい。 そこでじいちゃんは敵に撃たれて大怪我をした。じいちゃんのお腹にあるたくさんのオヘソは、撃たれた弾の痕だった。
結局じいちゃんは上海の病院で手術をする事になり、ばあちゃんとまだ赤ん坊だったオレの母親も一緒に上海に渡った。 まもなくソ連が本格的に満州に攻め込んで来て、満州からの引き上げが始まったらしい。 ばあちゃんはよく、「じいちゃんが怪我をしてなかったら、オレの母親も残留孤児になっていたかもしれない」と言っていたが、そうなったらオレも生まれてない訳で、オレが今ここにいるのもじいちゃんの一杯のオヘソのおかげかもしれない。
じいちゃんはその怪我のせいで片足が曲がらなくなった。 だからオレの知っているじいちゃんは、いつもびっこをひいていた。 戦争で負傷した人には国から傷痍軍人年金というのが出て、酒もタバコもやらないじいちゃんは結構お金を持っていた。 だらかなのか分からないが、じいちゃんはオレを顔を見る度に「小遣いあるか?」と聞いてきた。それはオレが30過ぎてからも変わらなかった(苦笑) 更にばあちゃんの口癖は「じいちゃんには1日でも長生してもらわないと、お前達に小遣いをやれなくなる」だった(笑) そんなばあちゃんも今はもういない。
オレは家庭の事情もあり、じいちゃん・ばあちゃんっ子だった。 だらかオレの大学の入学式の時も両親ではなく、じいちゃんとばあちゃんに来て貰った。 で武道館での入学式の帰り、何の気なしに3人で靖国神社に御参りに行った。 御参りをしてる時にじいちゃんは何故か泣いていた。その当時のオレは靖国神社の意味なんて知らなかったんだ。 後で聞いた話だがじいちゃんの部隊にいた人の多くは、戦死したかソ連の捕虜になっていたらしい。 今にして思えば、オレがした唯一のじいちゃん孝行だったかもしれない。
8月15日という日に、何故かあの時の目に涙を一杯溜めていたじいちゃんの顔を思い出した。たまにはそんな日があってもいいだろう。 そして明日の休みには、じいちゃんとばあちゃんに線香をあげに行こうと思った。
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