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2009/05/21(木)
222年・冬(ミシャグジ)
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どうも、ミシャグジです⌒☆
いよいよ今日からなんですよね、裁判員制度。 幸いにして、今回は当たりませんでしたが 選出される確率はといえば、宝くじで10,000円が 当たる程度の確率だそうで・・・死ぬまでには 1回くらい当たるかも知れません。
建前的な“主旨”に期待を抱かなくもありませんが、 不安がそれを遙かに上回っています。 とりあえず、辞退理由の基準をもっと甘くしようや。
さ、とりあえず日記に参りましょうか。
あ、その前に次シナの編成について。 以下のラインナップとなります
日曜→劉殿 月曜→許駿殿 火曜→純殿 水曜→陽子殿 木曜→ミシャグジ 金曜→岡崎殿 土曜→ローション殿
代打→極楽処遊廓殿・ぽん吉殿
何だかんだ言って、藤井隆の様に言って 私も続投してしまいました。ナンダカンダ言って。 広い心と、温かいお心で見守って頂ければ有り難いです。
さ、今度こそ日記に参りましょう。
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「・・・朝靄は、歓迎できませんな」
陳琳軍師の率直な感想であろう呟きに、私の耳は反応し 首は縦に動いた。そして脳裏には、一ヶ月前の濮陽での戦いの 映像が鮮明に蘇ってきた。
木々の間を満たすように漂う靄
馬の嘶(いなな)きは遠くに聞こえ
自分たち以外の“他軍”の存在を認知し
敵の来襲であることを疑い
方円に隊伍を整え
臨戦の態勢をとり
静寂に耳を澄まし
やがて馬蹄と思しき響きが迫り
しかし反響の為か方向は絞れず
ようやく靄に敵影を視認した
・・・時には、既にこちらが後手であった。
敵は編成を騎兵を大多数とすることで、こちらが視認してから 対応の為に態勢を整え直す時間を奪いとった。その疾い攻撃の前に 味方は次々と討たれ、浮き足だった。敵はいよいよ嵩に懸かって 襲いかかってきたが、ジャグラが秘蔵の藤甲兵を繰り出して 敵の勢いを鈍らせたのを足がかりとして、どうにか態勢を 立て直す事に成功をした・・・ものの、劣勢を覆すまでには 到らず、結局は孫軍に奪われたギョウを奪還する作戦に参加するどころか、 白馬津に到達することすら適わずに、北海へと退いて守りを固める ことを余儀なくされたのである。
それから一ヶ月。
これまでの間に、孫軍に北海が攻められることはなかったが、 西の平原、北の渤海はそれぞれ孫軍の攻撃を受けて、 渤海(南皮)は陥落してしまったという事である。 つまり、この北海は包囲されつつある状態であり、 そこに斯様な朝靄が発生すれば、大なり小なり不安感が生じてくる。
『怠り無きように、全力で警戒するしかありますまい』 私は朝靄の先の気配を探るつもりで、そう呟きながら なにも見えない空間を見据えた。
それから、どれほど経ったろうか。 日射しが靄を融かすかのように、うっすらと景色が見えてきた頃、 南門を警備していたはずのヒューイと呉用がやってきた。 ヒューイ「南門に使者が参っております。」 夏侯尚『使い?敵の軍使か?』 呉用「いえ、ご主君からの火急の命とのこと。」
火急の命!?『さては、北の戦線も危ういのか?』 私はそう発しながら、急いで南門へと向かった。 そこには、間違いなくご主君の使者が来ていた。 これまでにも幾度か見た顔である。使者を城内に迎え入れ、 私は用件をたずねた。使者は踊る大捜査線の室井さんみたいな 苦悶に耐えている様な表情を浮かべ、押し黙っていたが ふぅ・・・と、溜め息を一つつくと、口を開いた
「・・・軍を解くとの命でござる」
意味が分からなかった。思わず『え?』と、 聞き返してしまった程である。 それから使者は経緯を語り出した。 それによると、漢室は衰退著しく、もはや全土の混乱を 収集する力は無いとの結論を、他ならぬ皇帝陛下が下されて 御位を孫権に譲ると共に、最後の勅として各地の領袖に 孫権への帰順を命じたとの事だった。
益々、意味が分からなかった。 何故に孫権。何故によりによって、目下抗争中の敵に帰順なのだ!
ふと、我に返ると、私は率いていた軍を整列させた その前に立っていた。小声で傍らにいた春風キルに尋ねると、 他ならぬ私が集合・整列を命じたらしかった。
『・・・諸君、戦は終わった』
私は絞り出すようにして、使者から聞かされた経緯を伝え 解軍する旨を説明した。話を聞いていた将兵には、徐々に動揺が拡がり 気の抜けたようにその場に座り込む者、色めき立ち 「これまでの戦いは何だったんだ!」と、叫ぶ者など、場は混乱した。 私も気が抜け、もはやそれを抑え様ともしなかったが、 やがて、誰かが「俺たちはまだ戦えます」と主張したことで、 「そうだ!」「我々だけでも戦いましょう!」との声が出始めた。
『ならぬ!』 私はそれらの声を吹き飛ばすつもりで怒鳴った。 『我々は、武士である。戦いを始める事に目的を持つ群盗ではないのだ。 武士には主(あるじ)がある。主の命には従うのが武士である』 常々思っている事ではあった。しかし、今この場では本心とは言えなかった。
と、その時。 傍らにいたたこつぼが、突如として城壁の上に登ると 剣を抜き放ち、次の瞬間!
剣を城壁の角に叩きつけて折ってしまった。
皆、呆気にとられたが、直ぐに まるでそれが合図であったかのように、皆が同じように 剣を抜き叩き折り始めた。どの兵も目に涙を浮かべながらである。
『泣け、泣くがよい・・・』 私も剣を抜き、剣に映った自分を見る。 兄の徳、一族の恩を失ったあの戦いの日々は何だったのだろうか。 私は剣を折ると、その場で号泣した。
一陣の寒風が吹き抜けていった。
●鍾ヨウ陣営将軍:夏侯尚 筆
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