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2005/09/16(金)
ゆきえさん、
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8月6日の原爆記念日の写真を再度見せて頂きました。 「放鳩」 「ひと休みする赤トンボ」 「お食事中のスズメさん」 そして「清らかに可愛く咲くお花さん」、に心が和みました。手に止まっているスズメさん、可愛いですね。
あの日私は4歳になったばかりでした。 広島県と言っても爆心地から 20キロメートル位離れた自宅から、きのこ雲を見ました。 小さな日の鮮烈な思い出は絵本の中の出来事のように頭にありますが、これは大人達の語り継ぎ効果でしょうね。
翌日、近くの小学校に被爆者の方々がトラックで運ばれてきて、母達は白い割烹前掛けをしてお手伝いに行きました。 小さな可愛い(ごめん)私は其処へ1回か2回連れられて行きましたが、悲惨な姿を見せない方がいいと次からは家で待っていました。 長い年月のあと、2次被爆云々が言われ始め、お手伝いした方々は被爆手帳をもらいました。 可愛い(くどくて、ごめんなさい)私はもしかしたら被爆しているかもわかりません。
学徒動員で広島に行った向いの家の優しいお姉さんは、来る日も来る日も娘探しに出かけたご両親の願いも虚しく、とうとう帰って来られませんでした。 毎年式に参列なさり、その様子を涙ながらに母に話されていた小母さんのお顔や話振りを今も覚えています。 原爆の悲惨さを語り継ぐその方も亡くなられましたが、時々思い出して涙しています。 忌まわしい戦争の傷跡が風化されないよう、広島の皆さんは頑張っていらっしゃるのですね。
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