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2004/09/02(木)
禅寺で写経してきました。
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久し振りに禅寺へ写経に行きました。 住職の息子さんが永平寺から下山なさいまして初めてお目にかかりましたが、 イガグリ頭のよく似合うハンサムなお坊さんになられていました。 何時ものように1時間が写経、後の1時間はお茶をいただきながらお話をお聞きしました。
下村湖人の詩 あなたと私は バラの園をあるいていた あなたは言う バラは美しい けれども刺がある 私は言った バラには刺がある けれども美しい
1本のバラを見ながら、1人は、 バラは美しい、けれども刺があると、刺の方に目をそそいでいる。 一方は、 バラには刺がある。けれども美しいと、美しい花のほうに目を注いでいる。 何にでも誰にでもいいところがあるのだから、いいところを見ていこうではないか・・、 刺を出すエネルギーも花をさかせるエネルギーも命のエネルギーとして一つであり、別のものではない。
欲イクオール悪ではない。欲を自分の方に向けてエゴになる時、煩悩になる。 ところが、その欲が全ての人を救おうという誓願の方に向きを変えた時、これが仏・菩薩になる。
泥イクオール蓮の花でないように、煩悩イクオール悟りではない。煩悩を無くせば悟りがえられると普通考えがちですが、 そうではなく煩悩をてんじたところに悟りがある。蓮田の泥と同じで、煩悩のないところに悟りもない。 _____________________________________________
人はだれも自分が一番可愛い・・・その我愛(エゴ)を転じて慈悲に・・・と言うことらしいです。 山俊薫師のお説教をもとにしてのこんなお話や、先日の台風で停電になった時のこと等々和気藹々のひと時でした。
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