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2005/02/08(火)
●入院9日目●
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長かった入院生活もこの日で最後。 長いようだったけど授乳が頻繁な為、短くも感じる。
深夜からAM6時まで預かってもらい、授乳に赴く。 この日は初めて空の体重が増えた。(そして私の体重は減った。(苦笑)) 新生児は産まれてから暫く体重が減る期間というのがあるのだが、その期間が終わったのだと言われる。 これからはどんどん増え続ける一途らしい。
それからまた3時間置きの授乳。 時間があれば沐浴をさせたかったが、そんな暇もない。 一番最後の授乳に長引いてしまう。
気付けばAM10時。 退院の時間はAM11時の予定になっている。 胸の張りを気にして助産婦さんが、手動の搾乳機を薦めてくれる。 機械でないので値段も安く(と言っても6千円はするらしい。)、手間もかからないと言う。 飲ませても飲みきれていない事もあり、しこりが残って痛い。 しこりが残る状態が長く続くと乳腺炎になってしまうと言う。 手だけでは絞り切れないから、結局母乳外来に通う事になる。 搾乳機1つあればその必要が全くなくなる。 絞り置きもできるので便利ではある。 欲しくなるが、今授乳室のは誰かが使用中で返ってくるまで待たなければならない。 助産婦さんは時間の許す限り、ここで一度は使わせようと考えているようだ。 使い方が分からない以上、仕方がない。
AM11時に間に合わせる為、シャワーを浴びに行く。 帰れば授乳に追われ、浴びている暇がないような気がしたからだ。 シャワー後、搾乳機が返ってきていたので早速トライ。 機械より痛くないのに同じ位よく絞れる。 胸の痛みも消え、感動!(T▽T) これは買って帰らねば!
個室に戻ったが迎えはまだ来ていない。 わずかな時間で冷蔵庫の残りを処分する。 本日退院の為、昼食がないのでやたらお腹が空いている。 その時おばと旦那が迎えに来たので、空を着替えさせたり、搾乳機を買いに行ってもらったりで駆け回り、最後に授乳室でさっき絞った母乳を飲ませ、ナースステーションに挨拶に行く。 婦長さん自らも見送りに出てきてくれた。 助産婦さん達に最後まで、空は義母にそっくりだと言われていた。 (つまり旦那似と言う事で、私の遺伝子は一体何処に!?(−−;))
こうしていざ退院となると、始めは辛いとか寂しいと感じていた入院生活もまんざらでもなかったし、割と楽しかった。 早く過ぎてしまって少し切ないくらいだ。 これからは助産婦さん達の補助はない。 家に1人の時も多いだろう。 腕のバンド(入院初日に付けた名札のような物)を切られた時、卒業式の時のような感情に襲われた。 私の腕と空の足にある親子の絆(※下の写真参照)は、まだ外さないでおこうと思った。
キャリーバッグの中で何も知らず眠っている空に、 「また会いに来てね。」 と語りかける助産婦さん達を見ていて、こっちが泣きそうになる。(卒業式でさえ泣いた事ないのに。(TT))
外はあいにくの雨。 車までの移動の間も空は起きない。 家まで1時間半はかかるとしても、この分なら大人しく寝ていてくれるだろう。 私も今まであれだけ車酔いしていたのに、全く酔わない。 急に疲れが出てきて車の中で眠る事にした。
次に病院を訪れるのは母子共に1ヶ月検診。 私はともかく、空が引っかからないように頑張ろうと思った。
※「親子の絆」と呼ばれる見た目キーホルダーのようなお揃いのプレート。 空が産まれた時、空は足首に、私は手首に付けられました。 2005年この病院で99番目に産まれた事を証明する物で、これがないと退院時帰してもらえない事もあるらしいです。 その為24時間身に付けているよう義務付けられています。 正直、おむつ替えの時は邪魔で仕方なかったですけど…。(−−;) 2月2日23時(つまり11時)22分で99番…。 ゾロ目好きなんでしょうか?(苦笑) ちなみに100番目の子を産まれた方ともお会いしました。 私の隣の分娩室で、何と2月2日以内の出産だったそうです!(@O@)
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