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2004/10/27(水)
新潟県中越地震<その2>
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晴れてはいたけれど肌寒かった今日。 1日中話題は「震度6再び」と「4日ぶりの救出」でした。 …と言ってもこの時間現在も残る1人の女の子の救出活動が続いているようです。 この季節の新潟は日没からの温度変化が著しいです。 特に翌日が放射冷却ともなると、水道管が凍ります。 冬は水道を出しっぱなしにしないと破裂する恐れもあるくらい…。 そんな中生還できた2歳児は本当に奇跡的だと思います。
あの県道は私も小さい頃からよく利用した道です。 それこそ父親の運転する車の助手席に座って、長岡に行く時は必ず下道でした。(高速は料金かかるから。) 初めは気付かなかったけど、どこか見覚えあるなぁ〜と思っていた所に父親から電話がかかってきて詳しい場所まで教えられました。 そしたらまさに「あ!あそこか!」と、その時のドライブの様子とか頭に浮かんできて涙こぼれました。 自分の小さい頃の想い出でもある場所が、今やあんな状態になってしまった事とか、自分だって犠牲者になっていたかもしれないって事とか、たまたまこの地震であの母子が犠牲になってしまった事とか色々で…。 それに次に実家に帰る事があるとすれば、その時は心からの笑顔でいられない事とか…。
家族が無事であった事は喜ぶべきことなんだろうけど、こんな時に何も出来ない自分が悔しいです。 帰りたいけど帰れないし、帰っても迷惑になるだけだし、でもこんな時だからこそ家族に会いたいのに今後会える見通しが立たない…。 やもすると出産の時も来れる状態かどうか分らないと言われました。
家の損傷は思ったより大きく、家自体は崩れる心配はないにしても古い壁に亀裂が入り、それが今にも崩れそうだとか、土蔵の外壁は修復不可能な程剥がれ落ちてしまったとか。。 同じ町の遠縁の関係に当たる家が全壊したと言う話も聞きました。 もうこっちは聞くに堪えないです!(TT)
弟は3月に式を挙げるべきかどうかまで悩み出してしまいました。 現地の状況を直接体験していない私や弟は、ただただ先の心配をする事しかできなくて途方に暮れています。
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