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2011/08/13(土)
墓参り1日目
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朝から行ったけど既に激混み。 なんか新しい墓が増えてて、以前は通路として通れたところにまで墓が並んでいる状態。ちょっと通りますよと余所様の墓前を横切るのは何とも気が引ける。 死んでからもあんな狭いところなんて嫌だなー、アパート密集地帯みたいで。いやウチは曾祖母の代に広いとこ買ったから差し支えないんだけども。 納骨堂もさ、上下他家に挟まれるような位置にあるのは好きじゃないわ。
自分死んだ後の肉体やら骨やら、死んだらどうでもいいでしょ?どうなろうともう死んでこの世にいないのだから、本人には解らないよね。 でも例えば……大事な人が戦争へ行って骨片のひとつも無いままただ「死にました」と言われるのは悲しいし、マッチのお母さんみたく遺骨盗まれてまだ帰って来てないなんて可哀想だ……
震災で行方不明になっている方々も沢山いて、ご遺体が納められた棺にすがって泣いていたご遺族はこう言った、「(遺体が)見つからない人も沢山いますから、まだウチは見つかっただけで……よかったです」 日航機が墜落した御巣鷹山もそうだね、監察医の手記を読んだけど、泥だらけの肉塊を洗ったら目が3つあったとか、1つの遺体の胴体から他の遺体の足が生えてたとか……墜落の衝撃でぶつかった人間同士、相手の身体に埋まったりしてたんだよね。ベテランの監察医でも精神的にヤバかったらしく、若い医者達は喜怒哀楽おかしくなってその後のケアが大変だったって。 それでも、それでも遺族としては、家族としてはさ、手だけでもいい足だけでもいい、本人と解る何かが欲しいじゃない。絶対に見つけてあげたいじゃない。
お墓とか納骨堂とか結構なお金掛かるけど、確かに死んでもういないその人の骨を大切に保管したがる大多数のこの気持ちは、何と言う名前なんだろう。 たかが骨で、だけどあるのとないのとでは違う。 こういうの何て言うの?お坊さんに訊いたら答えくれるかな?
子供の頃の墓参りは、たまに会った従兄弟と遊んだり、親戚で集まって寿司でも食べるイベントの1つでしかなかったけれど、大人になると色々考える。 逆に、大人なのに色々考えない人はヤバイと思ったほうがいい。まだ20代だからとか親がいるから任せっきりとか、じゃあいつから君は変わるのかと。30歳から?40歳から?
震災で強く思った、明日親兄弟が突然いなくなる事は、有り得る。 だからこれまで「大人の仕事」だった冠婚葬祭の一切を、お金や権利の事も含め全て、「わかりません」って言わないようにならなくちゃって。
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