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2011/02/18(金)
チャミ誕
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沈黙って、辛いんだよね。
反論するのは容易いよ、非難するのも容易い。雄弁に語るのは敵も作るけど味方も増えるから。 だけど沈黙は、信頼関係にあった味方すら離れていく可能性がある。去り際に汚い言葉で罵られ、今まで築いてきたものが夢だったかのように、一瞬で霧散してしまう。 辺りは暗闇、光は差さないのに声だけは四六時中聞こえる、しかもすぐ冷める好奇心と下卑た悪意に溢れた声だ、そのうち誰の言葉を信じていいのか解らなくなる。いや、誰のことも信じたら駄目な気がしてくる、もう何も聞きたくない、勝手な事ばかり言われるのはもう嫌だと俯いて、只でさえ暗い中、両目も瞑る。 心が蝕まれる。
話し相手がいない。 そんな時ひとは、自分との対話を始める。
少しずつ、少しずつ思い出す。数え切れない程してきた取捨選択の中から、もう一度見つける為に。 そうだ、昔から何度も乗り越えてきた、あの時どうしたっけ、あの時誰が傍にいて話を聞いてくれたんだっけ、何て言われたんだっけ、そして今も傍にいて自分の背中に手を沿わせながら、「大丈夫、大丈夫」と繰り返してくれている、この手は誰の手だったっけ……
自分は孤独なんかじゃないって思い出せたら、目を開けられる。 目を開けたら、自分の隣でずっと背中をさすってくれてる人の顔が見えた。 辺りが暗いと思っていたのは実は夜だったからで、見上げると一面の星空だった! 思いがけない明るさに立ち上がって胸を張り、手を振ってみよう、おー意外と明るいぞ!なぁんだ!皆最初からそこにいたのか!
何故自分だけこんなに苦しいんだと文句ばかり言ってると、隣で「大丈夫だよ」と言い続けてくれている人の存在に気付けないこともある。気付いていたとしても、自分の事に手一杯で思いやる余裕なんかなくなってしまう。その人が、その人自身より自分を気遣ってくれているんだという事すら失念して。
けれどこれは「失敗」じゃない、「誤り」じゃない。 暗い場所でしか見えないものもある。 見えた貴方は以前よりもさぞ素敵でしょう。
チャンミン、センイル チュカハムニダ。
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