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ヲタ日記
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2010/08/15(日) 終戦記念日
今朝は玉音放送で目が覚めた。

暑いからと部屋の扉を開けっ放しで寝ていた私の耳に、朝から祖父母が観ていたTVの音が階下から飛び込んで来たからだ。
ちなみに私はこの玉音放送、携帯のミュージックフォルダに入れている。何故かと問われればこう答える。
「なんとなくだ!」


戦争を善悪二元論で語るのは好きではない。
戦争をどう思いますか?の問いに、コメンテーター気取りのタレントが綺麗に化粧を施した顔に薄笑いで「胸が痛いですね…やっぱり戦争はしちゃいけないんだなって改めて思いました」等と答えるその都度、アンギァァァァァァアと火を吹きたくなる(円谷プロ監修)


かつて、キューバ革命の英雄チェ・ゲバラが来日し、広島平和記念公園の原爆死没者慰霊碑に献花をした際、こう言った。
「何故日本はアメリカに原爆投下の責任を問わないのですか?」

答えられた者はいない。

ゲバラは核の悲惨さを子供達に教える必要があると考え、その結果キューバの教科書には日本の原爆被害を伝える記述が今現在もある。


第二次大戦下、アドルフ・ヒトラーは日本の自然の美しさや日本人の精神性に感銘を受け、とりわけ万世一代の皇統を賛辞した。
「我がドイツはおろか、世界中のどの国も日本の皇室と国民の関係性は真似出来ない。他国の王族や主導者はその歴史の中で何度も血が入れ替わってきたからだ。日本はこの宝を大切にするべきだよ…本当に」

まぁ、彼は「血統」に囚われていたから尚更日本の皇室が羨ましかったのだろうけれど、祖国ドイツのギムナジウム(学校)で日本語を必須科目にしようとした程、自ら追い求めた理想と日本人の持つ忠義忠心、所謂「武士道」に何らかの共通点を見出だしたに違いない。

断っておくがヒトラーが熱に浮かされた様に掲げた「超人思想」と「武士道」とは、全く違うものである。前者はオカルト(魔術)で後者はゼーレ(魂)だからだ。

大戦時、日本は日独伊三国同盟を結んだが、ドイツからはヒトラー・ユーゲントと呼ばれる青年将校達が、イタリアからは戦後処刑されたムッソリーニがそれぞれ来日した際、こぞって行きたがった場所がある。会津若松の白虎隊自害の地だ。
彼らは白虎隊の少年達の話に感動し、幕末の悲劇であるこの場所に「少年騎士たちへ」と慰霊の石碑を寄贈している。
戦後GHQの手により壊されたりもしたが、現在は修復されこの地を訪れる観光客も見る事が出来る。ちなみにムッソリーニから贈られたものは、火山噴火により一夜で消滅した古代の都市・ポンペイ遺跡の宮殿の石柱である。イタリアにとっても歴史的に大切なものを、白虎隊の彼ら御霊に贈ったのだ。

やがて敗戦濃厚となったドイツはヒトラーの自殺で幕引きとなるわけだが、ヒトラー・ユーゲントの青年将校達は徹底交戦の構えだった。それは最早悪足掻きでしかなかったが、「最後まで戦い抜くんだ」と皆口々に言っていたらしく、ユーゲント達の遺骸があまりにも若かったので米兵が呆然としたという記述を見た時、私は白虎隊の彼らを思い出さずにはいられなかった。


「武士道(大和魂)」を正しく理解出来るのは我々日本人だけだ。
幕末に絶望で涙した白虎隊も、特攻で空や海に散華した少年兵も、ヒトラー達が「青年期から国への忠心を植え付ける事の重要さ」を自国で説いて実践したそれとは、全く違う。

外国人に、この国の独特の精神性をどうしたら解って貰えるのか、私には解らない。
ゲバラの質問にも、自信を持って答える事が出来るかどうか、解らない。


先日、ピアノリサイタルの帰りに久々に英語を喋った。言語は使わないと忘れてしまうってのは強ち間違いではないね、少し緊張したよ。
マサチューセッツからバケーションで来たというお爺さんを道案内しながら、軽く雑談をした。
「札幌は綺麗な街だねぇ、緑も多くて食べ物も美味しい、あっ人も親切だね!とても気持ちがいい街だ。君は何処で英語を勉強したの?学校?」

学校教育だけで英語を喋れる日本人がどれくらいいるだろう。
お爺さんは私がまだ高校生くらいだと思っているらしく、折角だから否定しなかったのだがw
日本も小学校で英語を必須科目にするようだ。私が習い始めたのも小学生だったが、それにしても国としての取り組みは遅いと感じる。


特攻の生みの親と言われている大西瀧治郎海軍中将は、死をもって特攻の英霊と遺族に謝罪する、と自決前にしたためた遺書で生き延びた者達へこう述べている。

「青壮年よ、日本人としての矜持を失うなよ、君達は日本の宝だ。日本民族の福祉と世界人類の和平の為に、最善を尽くせ」


戦後65年。
65年前の誰が、日本に独りで観光に来るアメリカ人のお爺さんと、彼を英語で道案内する日本人女性を想像出来ただろうか。
日本はまだ、アジア諸国と戦争の歴史的事実を共有出来ていない。
戦後の課題はまだある。二度と過ちを犯さぬよう、最善を尽くす為に、我々は話し合う事を諦めてはいけない。


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