|
2009/08/23(日)
「生まれてすいません」
|
|
|
本日の日記は今年、没後百年を迎えた太宰の話をします。 毎年太宰の命日である6月19日には、桜桃忌といって東京三鷹にある禅林寺に、全国からダザイストがお参りに行くのですが、最近は空気を読まない歴女とやらが桜桃忌を何かの祭と勘違いしているのか太宰ファンに大変不興を買っていますwwwwwwあいつらほんと自重しろwwwwwwwwwww お墓だけでなく、太宰が愛人と入水した玉川上水に花を添える人も多いみたいですね。
太宰のお薦めは後にも先にも「人間失格」、これに尽きます。
先日めちゃイケで光浦さんが太宰のこれについて熱く語っておりましたね、「人間失格を読んだ若者は皆こう思うんです、"なんで私の事が書いてあるんだろう"って」
「時をかける少女」などでお馴染みの筒井先生も、「太宰の人間失格は若者が共感するんだよね、そこが凄い」と仰っております。
…(´_ゝ`)…
すみません、
私は、太宰が好きだからこそ、人間失格を何十回と読んだからこそ、「これはあたしの話です!」みたいな感想を持つ輩の読解力を全然全く微塵も信用しません老若男女プロアマ問わずですwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
読み手がどう受け取ろうと勝手なのは百も承知です、千人いれば千通りの解釈がある、それはたかだかネットの小さなサイト主ではありますが私も書き手として作品を読者に丸投げする以上、常に己を戒める言葉として正しく理解してきました。 が、太宰となれば話は別です。
私は太宰の人間失格が好き過ぎるあまりに、「凄いわかるー誰でも一度は悩むことが書いてあってー人生に絶望?みたいな?あたしにもあるし皆にもあると思うよ」的なレビューが目に入るその都度ですね、私の中のダザイスト過激派な部分がですね、
「てめーの人生と太宰一緒にするとかwwwwww並べるってどゆ事wwwwwwww」
と、せせら笑うのを止められないんだッ!解ってる、褒められた感情じゃないって解ってる、そうさ俺は醜いのさ、でも駄目なんだ腹が立つんだ人間失格はお前らの話なんかじゃ断じてないんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!!!!!!!!!!!!!!!
mixiでも数千人がレビュー書いてるんですが、あまりにもそのテの感想が多くてですね、よもや私の解釈が、感受性が、太宰ラブというフィルター越しゆえのものだから偏っているのだろうか、間違っているのだろうかと、悩んだ末に至極客観的に再読し、考察し、至った結論はやはり、
(#^ω^){何が俺の私の話だコラ)
だった次第ですwwwwwwwwwwwwww なんだろうやっぱ私がオカシイんだろうかwwwwwwwwwwwwwwww
人間失格を読むとオチる、重すぎる、暗闇に放り出されたような気分になる、惨めになる、自分の事を言われているようで泣きたくなる……色々な感想があるでしょうけれど、待って下さい、人間失格は「そういう話」ではないんです。 どうか、作中の「彼」が本当に「狂人」なのかどうか、もう一度確かめて下さい。 太宰治は「彼」をどう書いているのか、この作品の主題とは何かを、繰り返し読んで貰いたいのです。
「人間失格」は太宰治が、他人を信じるという事、または自分が誰かに信用される人間になる事、孤独や不安といった、自己の内面をさらけ出した作品ですが、自伝的作品であって自伝ではないと私は考えます。
傑作の確信犯なんですよ、太宰治は。確信犯じゃなきゃあんなラストにしない。太宰あれニヤニヤしながら書いただろ、良い閉め方出来たわぁ〜っつってなw
|
|
|